ウイットネス・リーと"地方教会"とは
"Who is Witness Lee?"、"What is the Local Church?"....各時代にはただひとつの神の働きがあり、それを推進するただひとりの務め人を通して、失われていた真理の回復をなし、ただひとつの教会の立場に立ちつつ、ただひとつのミニストリーに服して、ただひとつの信仰と実行の道を、ひとつ心で歩む地方教会(召会)。ウイットネス・リーとその"地方教会"をどのように評価し、どう対応するのか。おそらく今後広くキリスト教会の共有する課題になると考えます。彼らから見て反対者である私たちが紹介しますと、しばしば意図的曲解とか、文脈から離れた引用による歪曲された説明とかの反論をしますので、ここでは彼らのHPからの引用をもって、彼ら自身の言葉で紹介します。一般に、「自分は神の代理権威である」とか「自分は神に立てられた唯一の預言者」などの宣言をする人物に対してなし得る評価は3つあります:@本物である、Aペテン師である、Bパラノイアである。イエスは「自分は神の子であり、キリストである」と宣言されましたが、幸い、彼は本物でした。そして最も重要な点は、その人物の言葉と書かれた聖書の言葉との照合、およびヨハネの書簡にある通り、その背後に働く霊を識別することにあります。
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ウィットネス・リー(李常受)
(1905−1997)
ウオッチマン・ニー兄弟は1903年に中国で生まれ、1920年に主イエスを信じ受け入れ、救われました。ウイットネス・リー兄弟は、1905年に中国で生まれ、1925年に主イエスを信じ受け入れ、救われました。
ウオッチマン・ニー兄弟は、主が今の時代に教会に与えられた、純粋な聖書からの神聖な啓示の先見者でした。ウイットネス・リー兄弟は、主が今の時代に教会に与えられた、神聖な啓示の伝承者でした。
リー兄弟は、1925年から1927年までニー兄弟の著書である「クリスチャン誌」から多大な助けを得、その後、ニー兄弟と文通するようになり、1932年からは直接ニー兄弟の下で指導を受けるようになり、そして最も親密な同労者となりました。
リー兄弟は、ニー兄弟が聖書から見た純粋な啓示の最も忠信な伝承者であり、彼ら二人は中国大陸各地で数百の都市に教会を興し、無数の人たちを救いにもたらしました。中国共産党が中国大陸を占拠する前に、ニー兄弟はリー兄弟を自由地区に遣わし、ニー兄弟自身は1952年に、主に忠信であるゆえ無神論政権によって上海で投獄され、1972年に獄中で殉教しました。
しかし、ニー兄弟とリー兄弟たちの務めを通して、全世界六大陸の2,600以上の都市に教会が興されました。リー兄弟は、1974年にアメリカ合衆国カリフォルニア州アナハイム市のリビング・ストリーム・ミニストリーにおいて、正式に聖書のライフスタディの訓練を始め、毎年数千の奉仕者を産出しました。リー兄弟は数千のメッセージをし、数百冊の著書を通して、全世界に真の霊の食物を供給してきました。
リー兄弟は1997年に九十一歳で主にあって安息しました。彼ら二人の指導を受けた二千万人以上の聖徒たちは、現在、全世界で神聖な啓示を推し広め、キリストのからだの建造の働きをしています。
主から託された彼ら二人の務めは「新約の務め」であり、「キリストのからだを建造して、新エルサレムを究極的に完成する務め」であるゆえ、永存の価値があります。ぜひ彼らの著書を読まれ、新約の務めの奉仕者となってください。
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【注】ウイットネス・リーは自分こそウォッチマン・ニーの正統な後継者であると宣言し、先見者ニーの見た幻の忠実な継承者であるとあるが、しばしば「看板はウォッチマン・ニーであるが、実質はウイットネス・リー」という二重構造が見られる。注意深く読めば、ニーとリーの違いは明白であり、事実ニーの起した「小さな群れ」は50年代にリーの指導権をめぐって分裂しているが、その際リーがその群れの大半を掌握したというのが実際である。リーを拒否してニーの残したものに忠実に歩む人々、例えばニーの同労者であったStephen Kaung (Christian Fellowship Publisher, Inc.) が率いる群れなどが現在もアメリカにいる。ちなみ彼は「一都市一教会」の教えを否定している。
またリーは生涯において自己の反対者や批判者に対して、提訴の脅しをもってその著作物とか論文を排除することで有名であった。実際、リーによる提訴によって破産にまで追い込まれた批判者もいた。彼のパージの対象となった書物/HP/出版社/団体/個人のリストを参照されたい。すなわち彼の根本的姿勢は自己に対立する者の存在を一切許さないことであった。リーは、自分こそが神の託宣(Oracle)であり,神より権威をゆだねられており、自分のみが埋もれている真理を回復し得るのであり、自分に対立することは主の回復のみ業を阻止することであると宣言し、そしてついに彼はキリストにされた。これはさすがに欧米圏では関係を否定しているが、このような群れが中国大陸に存在することは認めている。
しかるにウイットネス・リーには以前より金銭不正疑惑が持たれていたが、いくつかの公開質問状(質問状@、質問状A)に対しても明確な回答はなされておらず、むしろそれらの疑義を呈した人々を逆に排除した。またウイットネス・リーの息子フィリップ(故人)はリーの事務所であるリビング・ストリーム・ミニストリー・オフィスにおいて、そこに働く複数の女性信徒に性的陵辱を加え、その事実に対してリーは息子を処置するどころか、むしろ真実を知った長老たちを強制的におろしたり、その真実を語る人々を異端者・反逆者として排除した(→証言@、証言A、証言B)。その表の顔と実際の顔には大きな隔たりがあり、リー自身に人格上の二重構造が見られる。
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東京に在る教会
1.そのスタンス
わたしたちは福音主義の中でも最も福音主義の人たちです。わたしたちは絶対に聖書の権威に従います。
2.その歴史
東京に在る教会の起こりは、1954年(昭和29年)頃から、分派、教派、組織、伝統、慣行が明らかに非聖書的であるゆえ、それを嫌う地元に在住のキリスト者たちが純粋に聖書の模範(エルサレムに在る教会、アンテオケに在る教会、コリントに在る教会:使徒行伝8章1節、13章1節、コリント人への第一の手紙第1章2節)に従い、地元に在って(都市に在って)一つである立場に立って集まるようになりました。
3.その立場
わたしたちは、伝統的な解釈にもよらず、純粋な神の言葉によって聖書の上に立ちます。わたしたちは、生ける岩、礎の石、からだのかしら、そして教会の命と実際であるキリストの上に立ちます。わたしたちは、分派ではなく、宗派でもなく、フリーグループでさえもなく、また超教派でもなく、キリストのからだの真正な一の上に立ちます。わたしたちは、それぞれの地方におけるすべての信者たちは一つであるという立場に立ちます。それは血によって贖われ、その霊の再生を受けたキリストにある信者たちは、すべてそれぞれの都市における一つの地方教会の肢体であると認めます。統合機構、本部等の組織を持ちませんし、何一つ永久的な職位、組織化された指導権を持つ人もおりません。どんな階級制度も、法王のような「頭の代理人」(Subhead)も、「仲介者」(Intermediaries)も認めていません。
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【注】リーはカトリックはバビロンであり、プロテスタントの諸教派はバビロンの娘たちであり、"地方教会"こそ唯一の地上におけるキリストの体の表現であり、正統な立場に立つ"回復の教会"と宣言する。また彼らは「頭の代理人」あるいは「仲介者」はいないけれども、現代の"唯一の預言者"にして、一般のクリスチャンたちが見出し得ていない"最高の啓示"を唯一語り得る"神の代理権威"であるウイットネス・リーは認め、彼に反逆するならば、神の行政に反逆することを意味し、神の怒りを買って裁かれて、ガンになったり事故に会ったりすると彼らは警告する。また彼らから離れた人々は"落ちた人々"あるいは"背教者"とみなされ、次のような評価がなされる。
さらにウイットネス・リーについて語る時、それが仮に真実であることでも、リーや召会にとって不利な証言の場合、責任者たちが一般信徒に対して、「同士打ちをしたり」、「血みどろの戦いになったり」することになるとか、「自分は自分に合わない不穏分子を切ることができる人間である」などとの脅し文句を語り、真実を語る者に対して告訴などの脅しをかけることもある。すなわちウイットネス・リーに関する真実とその権威に触れることはタブーとされる。ここにも表向きの表明とその実際の間の乖離、すなわち二重構造が見られる。ちなみに私の個人的印象によると"エホバの証人"の初期段階と非常に類似する要素が多々観察される。彼らの今後は十分なる監視を要すると考える。