ウィットネス・リー李常受

(1905−1997)

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【注】ウイットネス・リーは自分こそウォッチマン・ニーの正統な後継者であると宣言し、先見者ニーの見た幻の忠実な継承者であるとあるが、しばしば「看板はウォッチマン・ニーであるが、実質はウイットネス・リー」という二重構造が見られる。注意深く読めば、ニーとリーの違いは明白であり、事実ニーの起した「小さな群れ」は50年代にリーの指導権をめぐって分裂しているが、その際リーがその群れの大半を掌握したというのが実際である。リーを拒否してニーの残したものに忠実に歩む人々、例えばニーの同労者であったStephen Kaung (Christian Fellowship Publisher, Inc.) が率いる群れなどが現在もアメリカにいる。ちなみ彼は「一都市一教会」の教えを否定している。

またリーは生涯において自己の反対者や批判者に対して、提訴の脅しをもってその著作物とか論文を排除することで有名であった。実際、リーによる提訴によって破産にまで追い込まれた批判者もいた。彼のパージの対象となった書物/HP/出版社/団体/個人のリストを参照されたい。すなわち彼の根本的姿勢は自己に対立する者の存在を一切許さないことであった。リーは、自分こそが神の託宣(Oracle)であり,神より権威をゆだねられており、自分のみが埋もれている真理を回復し得るのであり、自分に対立することは主の回復のみ業を阻止することであると宣言し、そしてついに彼はキリストにされた。これはさすがに欧米圏では関係を否定しているが、このような群れが中国大陸に存在することは認めている。

しかるにウイットネス・リーには以前より金銭不正疑惑が持たれていたが、いくつかの公開質問状(質問状@質問状A)に対しても明確な回答はなされておらず、むしろそれらの疑義を呈した人々を逆に排除した。またウイットネス・リーの息子フィリップ(故人)はリーの事務所であるリビング・ストリーム・ミニストリー・オフィスにおいて、そこに働く複数の女性信徒に性的陵辱を加え、その事実に対してリーは息子を処置するどころか、むしろ真実を知った長老たちを強制的におろしたり、その真実を語る人々を異端者・反逆者として排除した(→証言@証言A証言B。その表の顔と実際の顔には大きな隔たりがあり、リー自身に人格上の二重構造が見られる。







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東京に在る教会


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【注】リーはカトリックはバビロンであり、プロテスタントの諸教派はバビロンの娘たちであり、"地方教会"こそ唯一の地上におけるキリストの体の表現であり、正統な立場に立つ"回復の教会"と宣言する。また彼らは「頭の代理人」あるいは「仲介者」はいないけれども、現代の"唯一の預言者"にして、一般のクリスチャンたちが見出し得ていない"最高の啓示"を唯一語り得る"神の代理権威"であるウイットネス・リーは認め、彼に反逆するならば、神の行政に反逆することを意味し、神の怒りを買って裁かれて、ガンになったり事故に会ったりすると彼らは警告する。また彼らから離れた人々は"落ちた人々"あるいは"背教者"とみなされ、次のような評価がなされる。

さらにウイットネス・リーについて語る時、それが仮に真実であることでも、リー召会にとって不利な証言の場合、責任者たちが一般信徒に対して、「同士打ちをしたり」、「血みどろの戦いになったり」することになるとか、「自分は自分に合わない不穏分子を切ることができる人間である」などとの脅し文句を語り、真実を語る者に対して告訴などの脅しをかけることもある。すなわちウイットネス・リーに関する真実とその権威に触れることはタブーとされる。ここにも表向きの表明とその実際の間の乖離、すなわち二重構造が見られる。ちなみに私の個人的印象によると"エホバの証人"の初期段階と非常に類似する要素が多々観察される。彼らの今後は十分なる監視を要すると考える。



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