死亡記事
本文はアメリカのウォール・ストリート・ジャーナル誌97年6月13日金曜日号と
USA・TODAY誌97年6月13、14、15日号に掲載されたものである。
(もちろん「地方教会」自身が出した広告である。)
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キリスト・イエスの僕であるウイットネス・リーは自己犠牲的にその生涯を通じて働き、自分の主であるお方の関心事のために自己を捧げ尽くし、今やその労苦から解かれ、自分が愛しまた仕えてきた主と共にいるものになった。彼は97年6月9日、91歳で地上を去った。中国北部において1905年に生を受けたウイットネス・リーはクリスチャン家庭に育った。19歳の時、完全にキリストにとらえられ、ただちにその後の生涯すべてを福音伝道に捧げた。彼の働きの初期においてウイットネス・リーは、有名な伝道者であり、教師であり、著作家であったウォッチマン・ニーと出会った。ウイットネス・リーはウォッチマン・ニーと共にその指導の下で働いた。1934年ウォッチマン・ニーはウイットネス・リーに対してその著作物の扱いについてのすべての責任を委ねその拠点は上海福音書房と称された。
1949年に共産党が占拠する以前に、ウイットネス・リーはウォッチマン・ニーによって、主から委ねられたものが失われることを避けるべく、同労者たちと共に台湾に遣わされた。ウォッチマン・ニーはウイットネス・リーに対してさらなる出版活動を台湾福音書房によって継続することを指揮した。同書房は中国外部におけるウォッチマン・ニーの著作の出版元として広く認められた。台湾の諸教会は大陸から逃げてきた350人の信徒数から、5年間で2万にまで拡大した。
1962年、ウイットネス・リーはアメリカ合衆国に赴くべきことを主から導かれたことを感じ、カリフォルニアに定住し、合衆国での35年間の働きの間に、毎週の集会や週末のカンファレンスを導き、数千編に及ぶメッセージを解き放った。彼の大半のメッセージは400以上の題名の著作物として出版された。これらの多くは14カ国以上の言語に翻訳されている。彼は最後の公のカンファレンスを97年2月に91歳で主催した。
彼は豊かに実を結ぶ形で聖書の真理を提示した。彼の主要な著作である「聖書のライフスタディ」は、信者がキリストにある神聖な命を聖霊によって享受し経験するための観点から書かれた2万5千ページに及ぶ聖書の各書に対するコメンタリーである。ウイットネス・リーは「回復訳」と称される新約聖書の新しい中国語翻訳版の主要編者であり、それはまた英語にも翻訳されている。「回復訳」は他の多くの言語にも翻訳されている。彼は同書において、多くのフットノートや、アウトライン、霊的なクロスリファレンスを提示した。彼のメッセージは合衆国のクリスチャン・ラジオ放送局から聴くことができる。1965年、ウイットネス・リーは非営利的団体であるリビング・ストリーム・ミニストリーをカリフォルニアのアナハイムに設立し、彼とウォッチマン・ニーのミニストリーを提供している。ウイットネス・リーのミニストリーは、キリストを命として享受することと、キリストの体としての信者の間における実行的一を強調している。これらの両者に与ることの重要性に重きを置きながら、彼はその顧みのもとでクリスチャンが命と働きにおいて成長するように導いた。彼は神の究極の御旨はキリストの体の偏狭なセクレタリズムではないとしてあくまで妥協することがなかった。時至られば信徒たちはこの確信によってそれぞれの地方で教会として単純に集まるようになるだろう。これらの地方教会は西欧諸国にあっても設立されている。最近では多くの諸教会がロシアと東欧諸国で興されている。
ウイットネス・リーはその妻と8人の子供たち、23人の孫たち、そして17人の曾孫たちと生きた。彼のミニストリーの成果は彼がいたるところで育てた多くの同労者たちによって受け継がれ、また彼の著作の出版活動もリビング・ストリーム・ミニストリーによって継続される。