“教会の立場に関する16点”
に対する6点の補違
1989年1月7日
親愛なる兄弟姉妹,
最近アナハイムにある教会において,私たちの回答を必要とする多くの問題や質疑が引き起こされている.私たちジョン・インガルスとアルバート・ノックの二人は,全ての聖徒達の利益のために,書面により私たちの立場を知らせるべきである,と感じた.この数ページの中には6つの主要点があるが,“私たちはいかに進むべきか”という最後の点は昨今特に私たちの注意と考慮を必要とする.
私たちはまた,1988年 8月28日,アナハイムにおいて持たれた集会に関する記事の校正・編集済みのコピー1部を本書簡に添付するが,その中には教会の立場を表明する16点が示されている.
私たちの回答をもたらした6点とは次の通りである:
1.1988年8月28日,アナハイムにてもたれた集会に関する記事
a.記事の配布は非難されるべきか
b.これらの声明文は誰を代表しているか
私たちが同集会の記事の印刷や配布を公認しなかったことも,また記事がすでに配布される前にはそれが行われていることを知らなかったことも事実である.その時私たちはその配布を制限しようとしたが無駄であった.後日,さらに考慮した結果,ジョン・インガルス及びゴッドフリード・オトゥテヨによって発言された16ポイントを含む記事,並びにアルバート・ノックによって行われた確認証言の配布は,主権により主によって許され,かつ用いられたと私たちは感じた.これらの諸点は神の言葉の基礎の上に堅く立っており,すべての聖徒によって再吟味され,語りかけられ,かつ考慮される必要がある,と私たちは深く感じる.もちろん,ゴッドフリードの発言した諸点の中にはアナハイムの現地の状況に特に適合したものもあり,それはそのようにみなされるべきである.このことはこれを読むすべての人に明らかにされるべきである.
上に述べた点に照らして,この文書のアナハイムでの配布,または他の諸教会への手紙による配布を非難できるとも,すべきであるとも思わない.この件について,どこの教会であろうとも私たちに連絡をとられるならば(ある場合にはすでにこのようなことがあったが),私たちの態度と確信を交わることができる.同記事の校正・編集済みのコピー1部を本書簡に添付する.
8月28日の集会における他の人々による証言の別の配布については,私たちは関与していない.またそれには同意しないが,それを非難する義務も感じない. 私たちがすべての聖徒あるいはすべての長老を代表すると主張しなかったことは,その記事から明瞭である.私たちは長老として私たち自身のために発言して,教会の地位は神の言葉に基づくべきであるということについて,私たちが感じるところを表現した.私たちはこれらの点が真理によって十分に支持されていることをその時に感じ,そして今もなお強く感じている.これらの点は当地及び他の地域の多くの長老や聖徒達によって確認されてきた.また多くの人がそれらの点によって非常に助けられてきたと感じている.実際,それらの点は大部分はじめから私たちが主の回復の中で常に信じかつ教えてきたところである.万一,聖徒の中の誰かがこれらの点について何等かの困難を生じたときには,私たちはその言葉に基づいて,文書でそれらの困難な点を具体的に明示し,私たちの所へ送るように奨励する.私たちは今後の交わりにおいて,これらの点を喜んで取り扱いたいと思う.
2.“アナハイムにある教会の歴史における重要な日付”という表題のビラの配布について
このビラの本質に影響しない2,3の小さな誤りを除けば,その内容は事実に基づいている.それでも私たちはそのビラの調子には同意できない.私たちはそのビラを何処であろうと配布することはクリスチャンにとってまったく何かそぐわず,また似つかわしくないと感じる.私たちは長老として,そのビラが集会所内とか,あるいは聖徒達が集まる如何なる場所においても配布されることがないことを望む.
3.9月と10月の間の諸集会において,聖徒達によって行われた様々の不穏な証言を取り扱う
聖徒達によってなされた攻撃的で真実でないと思われる陳述のあるものについては,ゴッドフリードがすでに公然と弾劾し,非難しており,また私たちもそれに同意していることを想起していただきたい.そのときに分け与えられた他の事柄によって傷つけられ,悲嘆に陥らせられた聖徒達に対して,私たちはマタイ18章の主の教えにしたがって,兄弟達の所へ自分で直接出かけることを勧める.私たちは個人的にその発言が他人を傷つけた恐れのある若干の聖徒に話しかけ,彼らを主の前において,もしあるとすれば,どのような行動を主が彼らに取らせるかを考えるように忠告した.
4.リー兄弟との私たちの関係
a.聖徒達に彼との親密な交わりを許すこと
b.諸集会,諸訓練および新著の発表に関すること
私たちは“アナハイムにある教会がリー兄弟と長期にわたる,親密な関係を持ってきた事実”を認める.したがってあなたがたの書簡の中で述べられたように,私たちは“すべての聖徒達に対して公平であること及び同様な親密な交わりを許すこと”を切に望んでいる.私たちの態度は次のようである.すなわち,すべての聖徒達が各自の良心に自由に従えるような(本書簡の第6ポイント参照),真の一般性を実行したいということである.聖徒たちの誰であろうと,もし彼の訓練や集会に出席すること,あるいは彼の本を読むことで彼の務めを受け入れたいと望むならば,そうすることのできる完全な自由がある.もし誰でもそうすることを好まないならば,私たちはそうしないための自由も彼に与える.しかしながら私たちはリー兄弟もしくは誰か他の主のしもべが分裂の種あるいは要因となることには同意しない.
諸集会,諸会合,および諸訓練に関してはそれが適切に知らせられ,その時点においてそれが主の目的とエコノミーにとって適当であり,また有用であると思われるならば,私たちはリー兄弟や他の主のしもべの集会についての発表をするであろう.新しい著書の発表の件については,添付する文書のこの件に関する私たちの声明(第12ポイント)に従うものである.
5.ヨセフ・ファング兄弟のアナハイム訪問
私たちは主が受け入れられるすべての兄弟,すべての人を受け入れるべきであると強く感じている.ヨセフ彼自身は,長年香港にある教会において奉仕してきた主のしもべの一人であり,私たちは彼をそのような人として尊敬している.ここに彼がいることが教会にとって有益であるか否かはただ主のみが知っておられ,また判断できる.私たちが彼に当地を去るように要求する何らの権限もないことは確かなことである.実際的には,彼の訪問は多くの聖徒達に有益であったと私たちは考える.落胆させられたある者たちは回復させられ,また怒っている者たちは鎮められた.彼と私たちの交わりは教会建造のために建設的であり,かつ有益であったと私たちは感じている.さらに彼に関して流布されたある事柄は中傷的であり,邪悪な報道であると考える.
6.私たちは今後どう前進するか
私たちは,私たちの間のすべての聖徒たちがキリストと教会を愛していることを信じている.さらに,私たちはまた単に数名の聖徒たちとだけでなく,すべての聖徒たちと共に積極的に進んでいく必要があることを感じている.したがって,私たちはこのことに関する私たちの負担をあなたがたとともにするこの機会を持ち得たことを感謝する.私たちは4つの表題のもとで,この問題に答えることができると信じる:
a.神の言葉を受け入れることによって
私たちの最大の必要は,主が御言葉を通して私たちに語りかけられることである.したがって,単に言葉を読むことだけでなく,言葉を通しての主の語りかけを受け入れることにより,毎日御言葉の中で,主を熱心に求めるようにと,私たちは強く聖徒たちに勧めている.主の語りかけは最も重要なことで,私たちは皆熱烈にそれを必要とし,また,主が毎日御言葉を通して必ず私たちに語りかけてくださるように祈るべきである.マタイ4:4は,人は神の口から出る一つ一つの言葉で生きる,と言っている.主の語りかけなしには,前進することも,適切な教会生活を送ることも不可能である.このことだけが私たちを多くの誤った考え方から救いだし,私たちを主ご自身と主の御目的に焦点づける.これだけが他の人たちを養い,御体建造のために,集会において生ける言葉を分与するために,私たちに豊かな供給をもたらす.多くの厄介な要因を克服する最上の方法は,生きている語られた神の言葉によって十分に養われることである.
さらに私たちの教会生活や日常生活は,あらゆる事柄において,ただ神の言葉によってのみ支配されるべきであり,いかなる便宜,伝統,あるいは外部からの影響力などによるべきではない(添付記事の第1ポイント参照).主が私たちの間に彼の言葉の権威と支配権を堅く建てて下さるように.
b.その霊の導きに従うことによって
これを実行するために私たちは,教会の頭であり(コロサイ1:18),またあらゆる人の頭でもある(Iコリント11:3),私たちのユニークな頭としての主に正当な地位を与えなくてはならない.このことは次のことを意味する.すなわち,アナハイムにある教会として私たちは主に対して直接的に責任と義務を負い(啓示録2,3章), またすべての事柄において主の導きを求める必要がある.このことはまた,彼の体の個人的肢体としては,私たちは今やその霊として私たちの中におられる彼に対して直接に責任と義務を負うことを意味する.したがってその霊によって直接導かれること(ローマ8:14),またあらゆることに関して彼の油塗りによって教えられること(Iヨハネ2:27)は,私たちの特権と責任である.これは新契約における一つの偉大な恵みである.この時代においては私たちと彼の間には仲介者は存在しない.教会生活と私たちの日常生活のあらゆる領域において,私たちがいっそうこの実際を経験することを望む.
あらゆる事柄において主の導きを求めるためには,私たちは今している祈りよりもさらに熱心な祈りが必要であると強く感ずる.私たちは過去においてこのことがひじょうに不足していた.どうか主が,特にこの時において,私たちが団体的に,個人的に,あるいは小さなグループの中で,私たちが前進できるために,彼のあわれみ,彼の恵み,また彼の導きを求めるように,私たちをひざまづかせて祈らせてくださるように.
c.その霊の一を実行し,維持することによって
これを行うためには,神が受け入れる者をすべて受け入れ,また,キリストが私たちを神の栄光へと受け入れたように(ローマ15:7)互いに受け入れることを学ばなくてはならない.私たちのあらゆる集会及び教会生活においては,その思想と信念とに拘らず,キリストの愛と恵みをもって,すべての兄弟姉妹を受け入れることを私たちは希望する.そして,彼らが集会に参加するときは,私たちは一つ霊の中で彼らとともに立ち,彼らのために祈り,彼らの分を受け入れるように私たち自信を開くことができるように.また私たちは,私たちの保持する一は,その範囲においてキリストの体よりは小さくないこと,また私たちは他の肢体を排除するようないかなる党派的・宗派的な一な中にはいない者であることを希望する.私たちを分裂に導くような人や,実行,あるいは教えに関するいかなる問題も私たちが許すことのないように主がその豊富な恵みを私たちに与えてくださるように.
さらには,その一つを実行するためには,私たちはお互いに対する態度において,あらゆる事柄において各人が自分の良心と信念に従う自由をお互いに与えることにより,適切な一般性を実行することを学ばなくてはならない(添付文書のポイント15参照).しかしいかなるいかなる差異であろうともそれが分裂の要因になることを許してはならない.このことは私たちの心の狭さと小ささを暴露することであろう.主が私たちの心を拡大し,すべての人に対する彼の愛を持って私たちを満たしてくださるように.現在アナハイムにおいては,過去長年にわたって私たちが教えてきたが,しかしほんの僅かしか生きてこなかったことを実行できる最適の環境にある.これは何という証になることであろう! 挑発に直面したとき,すべての人に対する苦悩と忍耐に関するエペソ4:2-3 にある主の御言葉を保持することを追求しよう.そしてまた何度も繰り返し聞いてきたように,強制したり,攻撃したりせずに,愛の中で真理(キリスト御自身)を保持し続けることを学ぼう.主が私たちすべてを啓発し,強めてくださるように!
d.未信者に福音を伝え,また生徒達を牧することによって
私たちは,主がその豊かな恵みをもって,私たちの間に健康的で正常な福音伝道を十分に育成してくださることを,心から望んでいる.このことは私たちの前進の為に重要であり,また正常な教会生活にとっても不可欠である.その故に,生徒達が多くの方法で日常生活において福音を伝えることを主が可能にしてくださるように私たちは祈る.もしある聖徒がドアノックによってキリストの福音を伝えたいのであれば,私たちはそのことの故に主を賛美し,そうするように彼らを励ます.しかしながら,兄弟姉妹たちがその友人,隣人,級友,そして同僚のすべてと共に福音を伝え,実を結ぶ日常生活を送ることに,私たちは主として関心がある.何にもまして私たちが望んでいるのは,福音の拡大のための強力な土台と推進力としての楽しい教会生活を私たちが持つことである.
福音伝道と同時に,彼らの家庭あるいは聖徒の家庭において,家庭の集まりを最大限に利用して,すべての新しい信者を十分に顧みる必要がある.さらに聖徒たち自身も十分なお互いの養い合いが確かに必要である.私たちは私たちの家庭がこのように用いられることであり,またそれらの家庭が御言葉の中で高められる交わりで満たされることである.
どうか主が私たちすべてに多くのあわれみと恵みを賜い,私たちが御目的のために守られ,この地方における彼の証として彼のご満足のために前進することができるように.私たちすべてはこのことのために祈るものである.
キリストにあるあなたがたの兄弟,
ジョン・C・インガルス, アルバート・P・ノック