リーの最後の公式メッセージを巡る論争の概要
ウイットネス・リーが死亡する1997年6月の直前の2月、中国語によるニューイヤー・カンファレンスが開かれ、その場でリーの公式の場での最後のメッセージがなされた。そこにおいてウイットネス・リーは、すべてのクリスチャンを受け入れることにおいて、自分を含めて、地方召会は過去過ちを犯してきたことを深く悔い改めるとする表明を行ったようだ(注1)。ここにすでに自分は"主の回復"であり、他の者はそこに受け入れるべき存在とする意識があるわけだが、彼らは本当に自分たちこそが現代の神の業の中心路線にあると信じているわけだ。
そのメッセージは中国語(北京語)で行われたが、その内容について、現在のLiving Stream Ministryの"ブレンドされた兄弟団"(BBs)と、彼らから検疫されたConcerned Brothers(CBs:憂慮する兄弟たち)の間で、解釈あるいは理解の相違を巡って、論争が続いている。この違いは実に興味深いので、両サイドの主張を述べた資料を紹介する。
CBsの主張は、ウイットネス・リーは自分の間違いを認めたとするが、BBsにおいてはリーは自分の過ちを認めたものではなく、リーの教えを受け継ぐべき諸地方教会が過ちを犯したとする。BBsにおいては、どうしてもウイットネス・リーが無謬でないとまずいようである。
要するにCBsから見ると、ウイットネス・リー自身が認めた彼の過ちを認めないBBsが、現在の各地のローカルチャーチの混乱と問題を生み出していると主張し、逆にBBsから見るとCBsがリーの言葉を意図的に曲解し、偽りの扇動をして、諸ローカルチャーチを混乱に陥れているとする。かくして両者がネット上で応酬し合っているのが、米国やカナダの現状である。ある意味、コップの中の嵐、カプセル化(注2)された世界での典型的病理現象ではある。
【注1】ウイットネス・リーの"悔い改め"は1978年や1989年の混乱における、自身や息子フィリップのスキャンダルを悔い改めたものではないようだ。一部、日本のローカルチャーチではそのように喧伝されているらしいが、真の悔い改めであれば、当時のアナハイムの長老であり、彼らが誇る『回復訳』を訳したジョン・インガルスやアル・ノックらと和解がなされるべきであろう。真の悔い改めであれば、それに相応しい平安な義の実が結ぶはずであって(マタイ3:8)、現在の混乱を誘発している"悔い改め"とは一体どのようなものであろうか?ちなみにリーはかつて言ったものである、「あなたがたは、たとえ悔い改めの涙を流したとしても、その涙すら汚れている!」と。なるほど、自らの言葉どおりと言うことであろう。偽りを隠蔽している限り、何度も同じような現象を繰り返す事は、精神病理では強迫反復として知られている。まさに現ローカルチャーチで起きている事態はこの典型であろう。
【注2】閉鎖空間においては、その世界での価値観とプロトコルが先鋭化されて、その内部では"当たり前のこと・正しいこと"が、外部から見ると実は倒錯している事態を生み出す。例えば、日本でも近いところではオウム真理教が、また遠いところでは連合赤軍が、自己批判・総括と称して、互いにリンチを行って殺した事件が起きたが、これはカプセル化の典型的症例である。多くの場合、互いに疑心暗鬼になって、誰が敵か味方か不安になり、パラノイド症状(被害妄想)を呈するに至る。これがますます内部の緊張を高め、問題をこじらせる。現ローカルチャーチはまさにカプセル化の病理の定石どおりの展開をしていると言える。