"ブレンドされた兄弟団"によるタイタスの糾弾理由
本文書のオリジナルは下記のローカルチャーチ最右翼のBlog:lordsarmyに2007年5月27日付けでポストされたものであり、ローカルチャーチ側からのタイタス・チューに対する非難を述べている。その理由が現在のローカルチャーチときわめて明瞭に特徴付けるものであるので、ここに訳出するものである。結論は、現代の唯一の神のミニストリーはウイットネス・リーのミニストリーであり、これ以外は敵の業であると言うわけ。なお、全世界の長老たちによる検疫文書はこちら。
パウロ兄弟のタイタス・チューによる会話の記録に加えた訂正に加えて、パウロに対するタイタスの手紙にはミニストリーに関してのタイタスの誤りと一貫性の欠如を示す例がいくつかある:
タイタス・チューは書いた:「この二千年間にわたり、主は多くの僕を使徒また預言者として立てられた。彼らはひとつの同じ業をなしている」と。ウォッチマン・ニーとウイットネス・リーのミニストリーによって確認された、教会歴史の明らかな証は、多くの賜物のある者たちによる異なるミニストリー(複数形)は、たとえある程度は主によって用いられたにしても、最終的にはキリストの体の分裂に次ぐ分裂で終わったのだ。このゆえに、これらのミニストリー(複)はキリストの体を建て上げるための"同一の業"とみなすことはできない。
私たちはすべてのクリスチャンの時代を見通す事により、この原則を見る必要がある。すなわち、すべての問題や、分裂や、混乱は、異なったミニストリー(複)を容認する事によってもたらされる。多くのクリスチャン教師たちは異なったミニストリーの悲劇を知っている。それにもかかわらず、彼らはそれらを容認してきた。異なったミニストリー(複)を容認する事がなされてきている。主の回復においては、長きに渡り、これらの異なったミニストリー(複)が忍び込むことを容認することがないことを信じてきた。むしろ、私たちは警戒するべきである。そのような混乱は私たちの将来に起こり得る。私たちが警戒をしないのであれば、また注意深くないのであれば、何かの方法や別の方法で敵が忍び込んで、あの手段やこの手段を用いて、異なったミニストリー(複)をもたらすであろう。それは主の回復の終焉を意味する。(長老の訓練、第1巻:新約の務め、16ページ)
タイタス・チューは書いている:「主はニー兄弟とリー兄弟をこの時代において得られた。彼らはこの時代におけるユニークな新約の務めのスポークスマンとなった」。私たちは完全にこのことに同意する。しかし、こう書いて後2年と経たないうちに、また彼とその協力者たちは、公然とリー兄弟とニー兄弟が"現代の務め人"であるとする同労者たちの主張に対して反意を示し始めた。そして現在多くのミニストリー(複、多分タイタス自身をも含むであろう)があることを教え始めた。タイタス・チューはパウロ・ウに対して書いた手紙でも真実ではなく、また真理の理解においても不安定である。
タイタス・チューはまた書いている:「ある地方教会が独立していることを宣言する事は子供じみている!同様に、ある地方教会が特定の働き人に属していると宣言することも肉的である!」再度、私たちは同意する。しかし、タイタスは自分と関係のつながりのある働き人たちや指導者たちの行動、つまりこれらの働き人や長老たちとの集会のすぐ後に取られた行動については、策略的に沈黙している。彼らは例えば、次のような行動を取った:
御体の中で、地球上の同労者と諸教会の多くの祈りと交わりによって行われた検疫を拒否しまた公然と貶めることを求めた。
自分たちと関係のある特定の働き人たちを自分たちの"使徒たち"と任命しようとする意図を表明した。これは第一コリント書1:12に抵触する行為である。
ひとつの唯一の基礎である(定冠詞付き)地方教会の立場(=一行政区にひとつの教会)から逸脱した自分たちの教会の立場を宣言した。
そして教会の霊的諸事の運営に対して、この世的な枠組みを設立した。例えば協力関係にある"ディレクターたち"が長老たちの決定を拒否できるとか、教会の中での長老たちの地位を停止することとか、メンバーを訓練したり、集会から排除したりすることができる、等々といったこととまでも行った。
これらの兄弟たちの行動に現れている二心の行為や真理からの極端な逸脱を見ることは悲しいことである。しかし、事実は事実である。そして私たちはそれに直面しなくてはならない。これらの問題が主の体の建て上げのための本質であり、この時代の目的でもあるために、神の敵がここに攻撃を仕掛けていることを理解しつつ、私たちは絶対的にただ主の御旨のためにのみ立ち続ける必要がある。