<<現メンバーRyo○○氏の証言A>>
これは現"地方教会"メンバーであるRyo○○氏がある掲示板での経緯に関連して書かれたことです。現在の"地方教会"においてウイットネス・リーが彼の認識においてどのような位置を占めているよく分かる内容ですので、公開掲示板および公開を意図した記述ですのでここに引用させていただきます。ここでも彼の判断行動の偏向性が観察されます。すなわち内部のコントロールされた情報による判断行動パタンを取っておらます。この方の発言と小生の"経緯"の記事内容を比較参照されたい。この客観的事実関係については電話の録音テープと相手方の書簡、さらに弁護士を証人とした文書によって容易に確認されます。また彼の異端・カルトの理解にも偏向があることが分かります。
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WHY?
投稿日 1999年11月6日(土)20時52分 投稿者 レナ [210.xxx.xxx.11] 削除
Ryo○○さん、ICFから来ました。
ローカルチャーチに興味を持ちました。
ちょっと質問してもいいですか?
どうして、リーさんを批判されるとだめなのですか?
わたしは牧師先生のこといろいろ言われても平気よ。
だって、わたしとイエス様の間に何にも問題ないもん。
たぶんみんながおかしいと思うのは、そこよ。
リーさんて、Ryo○○さんとかローカルチャーチの
人たちにとって、どんな意味のある人なんですか?
おこらないでね。ちょっと興味あります。
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懐かしい「そこよ!」
投稿日 1999年11月7日(日)01時30分 投稿者 Ryo○○ [210.xxx.xx.121] 削除
レナさん
>どうして、リーさんを批判されるとだめなのですか?
>わたしは牧師先生のこといろいろ言われても平気よ。
>だって、わたしとイエス様の間に何にも問題ないもん。
>たぶんみんながおかしいと思うのは、そこよ。
教会の外での批判と中(及び出ていった後)での批判では少し違うかもしれません。
対リーに限らず教会に中にいる人がそこに立てられた権威に逆らい誹謗中傷するのはやはり問題だと思います。主は群れの中に力ではなく権威を立てられ、そして皆が自分の前の小さなその権威(責任者や自分より前を歩んでいる兄弟たち)に服する(従う)ことで主はご自身の主権を教会で行使することができると思います。
根拠のない誹謗中傷などは出て行いった後でもいただけないものです。ルター派の中でルターへの中傷、聖め派の中でウエスレーへの中傷、メノナイトの中でメノシモンズへの中傷、吉祥寺グループの中でベックさんへの中傷・・・、古今東西、際立った指導者はたくさんおられますが、際立っていればいる程中傷も多いかもしれません。
余談ですが、レナさんの愛する牧師先生が「カルトだ異端だ」と言われて平気、というのも少し寂しいものです。(^-^)
>リーさんて、Ryo○○さんとかローカルチャーチの
>人たちにとって、どんな意味のある人なんですか?
印象はウオッチマン・ニーに続いた、際立った指導者という感じでしょうか。ルターやウエスレー、ダービーやミュラー、オースチンスパークス・・・など等、歴代の指導者と同様、聖書の真理を証しする上で主に用いられた働き人だと思います。勿論、どんなに主に豊かに用いられようが主の御前では私達同様一兄弟に過ぎないことは申すまでもありません。
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もうひとついいですか?
投稿日 1999年11月7日(日)10時23分 投稿者 レナ [210.xxx.xxx.50] 削除
Ryo○○さん、お返事を感謝します。
ローカルチャーチの人たちって、本当にリーさんの
教えをそのとおりに信じているんですか?
疑問に思うことはぜんぜんないのですか?
それからI○Fに書かれていたリーさんのお話しは
みんな反対者の人たちのつくりばなしだって
本当に信じているんですか?
しつこくしてすみません。これでおしまいです。
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簡潔にお答えします
投稿日 1999年11月9日(火)00時12分 投稿者 Ryo○○ [210.xxx.xx.76] 削除
レナさん
>ローカルチャーチの人たちって、本当にリーさんの
>教えをそのとおりに信じているんですか?
>疑問に思うことはぜんぜんないのですか?
ルーテル教会の方はルターの教えをその通り信じているのですか?
改革派の教会の方はカルバンの教えをその通り信じているのですか?
ホーリネスの方はウエスレーの教えをその通り信じているのですか?
ヨイド教会の方はチョーヨンギ師の教えをその通り信じているのですか?
ビリーグラハム伝道協会の方はグラハムの教えをその通り信じているのですか?
レナさんは教会の牧師先生の教えをその通り信じているのですか?
「今日も説教聴いて恵まれたあ!オラの教会の先生の説教はやっぱ世界一だべ」こういう自慢話をする方をRyo○○は大好きです。
脱線はさておき・・・
質問で感じるのは、リー兄弟をどこかの絶対的教祖かなにかと誤解されているのでしょうか。
・リー(勿論ニーも)兄弟に間違いは無い(無謬)などとは思っていません。無謬は主だけであり聖書だけです。リー兄弟とニー兄弟とで細かな聖書解釈で違う部分があります。どちらかが当然違うのです。両方違うのかもしれません。
・リー兄弟が語ることを鵜呑みになどしていません。多くのことは既に認識している御言葉によって受け入れられますが、重要だと思う事、疑問に思う事については御言葉から確信が与えられるのを待ちます。中には受け入れられない(私として御言葉に結びつかない)学びもあります。そのことを教会で言っても別に責められたりしません。(こういう事を口実に分裂的になればその分裂的態度は問題です)
・リー兄弟の学びを聴いたり、読んだりする時、勿論懐疑的な聴き方はしません。それまで彼から受けてきた恵みの目方分だけ信頼をおいて耳を傾けます。
・リー兄弟の学びの書ばかりが教会で読まれることについて、
リー兄弟(ニー兄弟も)は多くの先人たちが回復した真理(聖書解釈)の肩の上に立っており、それは自他ともに認めるところです。私自身はこの教会に来てたくさんの霊的指導者とその著書、その価値を知りました。ガイオン夫人、ブラザーローレンス、フェネロン神父、アンドリュー・マレー、R・A・トレー、J・N・ダービー、G・H・ペンバー、カフマン夫人、エバン・ロバーツ、オースチンスパークス・・・他。今もその著書類に出会えればそれを手に入れて読んでます。
マレーなど彼らの優れた著書も教会で読まない(公に薦めない)理由は、その学びをリー兄弟たちが吸収し彼の学びに含めて語ってくれているためです。リー兄弟たちが祈りと忍耐と労苦の上に辿り着いた地点からあなた方(Ryo○○たち)は始めなさい、ということのようです。個人的には何を読もうが自由です。
・リー兄弟が自分の語った学びの重要性を訴える時、ある人たちは傲慢だと言います。私はそう思いません。理由の一つは彼ら(リーやニー)はそれらが自分からではなく(繰り返しますが)多くの先人の肩の上からであると強調しているからです。今一つは、彼ら(いつの時代の霊的巨人もそうですが)が受けたものが神からの真理であるという点です。私達が同じことを聴く時多くの場合それは単なる(重みの無い)教理ですが、彼らは神から委ねられた真理の重みゆえに「これは価値あり!」と大胆になります。私達の多くは自分の満足と誉れのための教理レシピに過ぎず故に時として大胆は不自然です
・私達は「リーやニーの教え」に捕らえられているのではありません。勿論、リーやニー兄弟自身(人)などに捕らえられているのでもありません。(自分達の指導者として、また霊的先人として敬愛はしてますが。) 私達がこだわっているのは、ニーが捕らえられた啓示(ビジョン)についてです。そのビジョンとは神のご計画、御旨としての「キリストと教会」のことです。このビジョンの故にリー兄弟もニー兄弟に従いました。私達もこのビジョンの大切さゆえにリー兄弟の学びに敬意をはらいます。
・その時代、そこに際立った指導者がいることはいないことと同様、何の問題もありません。主は陶器師です。指導者の解釈が気に入らない、その指導者を信頼する教会が気に入らない、そういうことでの反対はいただけません。
>I○Fに書かれていたリーさんのお話しは
>みんな反対者の人たちのつくりばなしだって
>本当に信じているんですか?
レナさんは、たくさんあるリーの著書のどれくらい読まれたのでしょうか?
私達の教会にどれくらい出席したことがあるのでしょうか?
レナさんは、その方たちのお話を本当に信じているのですか?
つくり話というより、異端については要約は反則ということです。幾つかの「単語」なら教会で聞いたことがあります。カルトについては具体的実状を示して欲しい、ということです。
異端であれば反対者の要約ではなくリー著書の引用を示し、且つその異端性を説明すべきです。「異端」と「聖書解釈が気に入らぬ」とは違います。
カルト(非社会性)についても具体的に示すべきです。私が単なるリー読者と思われていた頃、この二つについて具体的に書かれたメールをいただきまして、事実確認のため教会の責任者に伺ったところ、このことでメールを出された方は責任者に謝罪して終っています。ですから公開質問をして欲しいとお願いしたのです。
異端とは何かについて私自身多少心得はあるつもりです。一人歩きすれば誤解を受けやすい言葉はありますが、7年いて異端の教えに触れたことはありません。
私自身、東京の教会含め幾つかの教会と交わりを持っていますが、非社会性(カルト)など想像もつきません。皆さんとても純朴で素朴な集会生活(教会生活)に励んでいます。
>しつこくしてすみません。これでおしまいです。
よろしく、お願いします。こちらもそのつもりです。こういうやり取り自体、ここでは主の証の損失に感じています。
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<<以下Ryo○○氏がある掲示板に関連して書かれたコメント>>
現メンバーがウイットネス・リーとその教えに対してどのような評価と価値観を有しているかよく分かる文章です。
雑 感
あるボードでの批判について、良心的な方たちから幾つかメール問い合わせがありました。他にも質問されたい方がおられるかもしれないと思い、簡単ではありますが要点となりそうな点のみ書かせていただきます。尚、そのボードを御存知の方しか意味が分からないため、この頁はある期間の時限掲示とします。
また月並みですが書かれてある内容は私個人の見解であり、私の集う教会の見解を代表するものではありません。(私ごときの認識では代表などできませんし、その立場でもありません。)
1.ウイットネス・リーの学びの特徴と批判
ウオッチマン・ニー兄弟やウイットネス・リー兄弟の著書は御言葉を根拠に、広く聖書の深み、初期のキリスト者が元々持っていた忘れられた真理を一つ一つ明かにしてくれ、何より彼らの学びは読む者(聴く者)を聖書の御言葉そのものに連れ戻すという点で大いに貴いものです。
私の感ずるリー兄弟の学びの特徴は以下です。
A.御言葉の【内在的意義】を大切にし多くの御言葉の裏付けを元にそれを解釈する
B.御言葉の根拠とその解釈の多くの説明と共に、読む側(聴く側)の【理解の助けのため】時に大胆な【新造語や新採用語】による補足説明を行なう
神学の言葉(最初の時には新造語や新採用語)がそうですが、神の深遠で神聖な真理を人の体系化された有限な言葉で表現する時、その言葉は【聖書の御言葉とその解釈の制限の中で】聴かなければその理解は糸の切れた凧¥態となります。リー兄弟の聖書解釈が健全かどうかは当然、その聖書解釈の部分で吟味すべきです。聞き慣れない新造語だけ(読む側はイメージ想像で翻弄される)を、元の文脈無視で並べ、時には無い言葉まで混ぜ込ませ(「加工された神」?などというのは聞いたことが無い)られた説明文では、ウイットネス・リーを判断することなど到底できません。リー兄弟を判断したければ【彼の著書に基づき】、【その聖書解釈の部分に基づいて】吟味されるべきです。リーの(教会の)教えと称してある方がUPされた要約説明については全てその方の創作説明であるため却下です。リーの著書に基づいた指摘が何故できないのでしょうか。公開質問を薦めるのはそれができないゆえに簡単に決着がついてしまうからです。
リー兄弟の著書で有名なのは聖書全体を信仰生活に結び付けて解説した「ライフ・スタデイ」です。百聞は一見にしかず。創世記でもマタイでもいいです。購入して読んでみてはいかがでしょうか。彼の著書の中で、内在的な意義を強調する点については難解に感ずる時があるかもしれません。私自身いつも御言葉の黙想の中でその解釈を吟味し、平安の中でそれを受け取るように心がけています。(これは別にリー兄弟の著書に限ったことではありません)
2.回復訳聖書と新世界訳聖書
日本福音書房により日本語の【回復訳】新約聖書が翻訳・出版されています。「この聞き慣れない回復訳聖書はギリシャ語からの直訳ではなく英語版を基にした孫訳であり・・・、故にエホバの証人の新世界訳と同じである」という趣旨の批判をお聞きします。新世界訳と同じ異端の聖書!とのイメージ作りでしょうか。はたして本当に同じなのでしょうか?
(1).回復訳はギリシャ語テキストのネストレ26版を底本として翻訳されましたが、翻訳に携わられた方々の頭の中(そして翻訳考慮の中)に英語版や中国語版回復訳が豊かにあったことは当然想像できることです。日本語版序文にも「英語版や中国語版を参考とした」とはっきり書いてあります。このことは聖書翻訳の世界では妥当であり常識的なことです。公的聖書によくなされる批判的な例では、明治訳聖書はイギリスのAV(Authorized Version/欽定訳)がモデル、大正訳はイギリスのRV(Revised Version)がモデル、そして口語訳はアメリカのRSV(Revised Standard Version)がモデルだとのことです。英語版、中国語版を参考にしたと言われるなら妥当ですが、それなりの言語学者が綿密な検証をされた上でなければ「孫訳・重訳」などの批判はできるものではありません。
(2).引き合いに出されたエホバの証人の新世界訳聖書(日本語)はその英語版からの翻訳でありギリシャ語原語からは重訳です。そもそも新世界訳の見開き表紙に「英文新世界訳からなされた翻訳」と正直に銘記されてあります。キリスト教(界)で新世界訳が問題にされるのは、この重訳の点でありません。ましてや回復訳のように英語版や中国語版を参考にしているなどということでもありません。キリスト教界が指摘する新世界訳の問題点は「キリストの神性に関する多くの個所が意図的に誤訳している」という点です。
余談ですが、回復訳の序文にある他の邦訳聖書に対する書房翻訳グループの態度を紹介します。
「語句、その他の表現などでは、新改訳聖書、詳訳聖書、日本聖書協会口語訳、文語訳、新共同訳聖書、永井訳聖書、前田訳聖書など、多くの助けを受けました。これら先達の働きのゆえに、主に感謝いたします。」
3.隠れ蓑(みの)
統一教会の方が統一教会と名乗らず代わりにある団体名を名乗って(隠れ蓑として)各種の勧誘活動をされていることは報道などでも指摘されていることです。私自身、宗教アンケート、難民救済募金、結婚の祝福ぶどう酒など、路上で勧誘されたことが多々ありますが確かに彼らは統一教会であることを明かしません。ぶどう酒の時は(飲み物を飲ませる勧誘だったため不正直はまずいでしょ、と)こちらもしつこく食い下がって問いただしまして、その時は根負けして統一教会であることを認めてくれました。確かに隠れ蓑活動は世の中にあります。
私の集う教会ではインターネットを通しての幾つかの宣教の働きがあり、聖書の通信教育活動である「e-manna(e-つまり電子メールによるマナ)」や「聴障者向HP」などがそうですが、これに対してこれはこの教会の「隠れ蓑」である、との批判を読みました。開いた口がふさがりません。私の手元に「東京の教会HP」PR用の名刺サイズのカードがありまして、宣伝用としてバラ蒔くために私の教会にもおいてあったものです。カードの裏面には「e-manna」や「福音書房」のHP紹介がしっかり書かれてあります。勿論、東京の教会のホームページ上でも紹介されています。聴障者に重荷を持つ?つくばの教会ホームページ上では「聴障者向HP」が紹介されています。余談ですが、特別伝道集会、特別子供集会など、広く来会をご案内する集会用の宣伝チラシには、(どの教派の教会も同じですが)当然教会名は大きく書いてあります。
結局、批判は事情を知らない方々を相手にしたイメージ操作でしかないように感じます。
◆
つまづきの詩
【分裂の人に対して】
分裂する人は権威に復する事も知らない。(ママ)
ただ弱い人は立ち去った教会を悪くは言えない。言えても後ろめたさがあり、帰属していることを知っている。
分裂の人は立ち去った教会を憎しみを込め、悪態を吐く。異端呼ばわりまでして、自らが誰であるかを暴露する。
分裂の人は真実を拒否し、噂の類を歓迎し、自らも捻じ曲げた尾ひれをつけた噂の発信者となる。
分裂の人は新しい所でも繰り返し、「頭(かしら)的ポジション」に注意を払う。
【教会に対して】
疑問:的を得てても、得てなくても危険
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