徒然ウィットネス・リー語録
ウィットネス・リーの末期におけるややパラノ系の発言集。
彼はこれらの言葉を、真剣に語っているのであり、
聞いている側も、神の言葉を聞いていると、
要するに両者とも真剣なのだ。
(なお、クローズドな場でのウィットネス・リーのメッセージも参照のこと)
■時代を閉じるウィットネス・リーのメッセージ
(出展:『主の回復サイト』→http://www.lordsrecovery.jp/)
わたしが合衆国に来た時、わたしたちが見た新鮮な啓示を伝えるのに、多くの新しい用語を発明しました。この三年間で、主はわたしたちを、彼の神聖な啓示の高嶺へともたらしてくださいました。わたしたちには、回復訳とライフスタディという完全な賜物があります。わたしたちはこれを尊ぶべきです。これは、わたしたちがウオッチマン・ニー、あるいはウイットネス・リーを高く上げることを意味するのではありません。むしろ、わたしたちは三一の神を高く上げます。彼は何世紀にもわたって多くの解釈をする者を通して語り、二人の兄弟を用いて、神聖な啓示の蓄積された理解の結晶を、わたしたちに提示してくださいました。わたしはこれが終わりの時代であることを知っています。主はこの時代を、回復訳とライフスタディメッセージの中で伝えられたすべての真理をもって、閉じられるでしょう。遅かれ早かれ、これらのすべての真理は出ていって、キリスト教の不完全な神学を征服するでしょう。
■タイタス・チューに対するウィットネス・リーの言葉:
1995年、2月14日−異なるミニストリーを受け入れないこと、または個人的な要塞を建て上げないこと
(出展:"Lord's Army"→http://www.xanga.com/)
1995年2月14日にリー兄弟は電話でタイタス・チューに対して語った。その交わりにおいて、ウィットネス・リーは、ミニストリーに関するタイタス・チューの異なった見解を糾した:
聖書では神は一人であることを見せている。そして神のエコノミーもひとつである。神の表現のゴール、神のエコノミーのゴールもひとつである。それはキリストとキリストの体である教会である。旧約であれ、新約であれ、旧約においてもただひとつのミニストリーがあるだけであり、新約においてもただひとつのミニストリーがあるだけだ。しかしこれはこのミニストリーの下で、あるいはこのミニストリーの中においては、多くの個人的な人々のミニストリーがないと言うことではない。それらは確かにある。しかしそれにも関わらず、これらの多くの個人によるミニストリーはただひとつのミニストリーの導きの下にあるのだ。
リー兄弟は、翌月、アナハイムにおける同労者たちと長老たちとの国際的な交わりにおいても同じ事を繰り返した。その時、彼はこう語った:
今日明らかな幻を見出し得た者は、ニー兄弟にせよ、リー兄弟にせよ、私たちの個人的な業をしているのではないことが分かるはずだ。私たちの業は主の回復の御業であり、キリストの体を建造することである。私はこのことを、あなたがたが私によって影響されることを期待しつつ語る。私は大いにニー兄弟によって影響を受けた。同じようにあなたがたも彼によって影響されて欲しい。・・・これが私が長老や同労者のために1984年以来、いくつかの緊急の集会を召集した理由である。私はこれらの緊急の集会を召集したが、それは最近分裂的な風潮が見られるからである。私は、後に何巻もの本として出版された真理のシリーズを解き放った(『長老訓練1−11巻』、参照)。あなたがたはこれらの本を読むべきである。封建時代は終わり、よってあなたがたはもはや封建制度の原則で働くのではない。ただ主の回復の御業のために働くべきである。私たちすべてが主の回復の御業をするのであれば、ただひとつの御体が現れるであろう。三人か五人の同じ思いをいだいた人々が小さな地域に働きに出て行くならば、その結果はひとつでもなく、ひとつ心もでもあり得ない。むしろ、その結果は分裂を引き起こすであろう。これが最近の混乱のまさに原因である。
注:タイタス・チューは、リーの死後も、リビング・ストリーム・ミニストリー(LSM)のリーの遺志を継ぐ"ブレンディング・ブラザーズ(BBs)"の意向に背き、五大湖周辺の諸教会に悪い影響を与え、若者を堕落へともたらし、神のエコノミーに逆らったとして、2006年10月、BBsにより検疫された(→詳細)。