"ローズミードに在る教会"の集会の記録
1987年11月1日
この文書はローズミードにある教会の1987年11月 1日の集会の記録である.同教会は米国におけるウイットネス・リー問題を最初に指摘した教会であり,この記録はそのかなり初期のものである.状況がかなり複雑で,若干の背景となる知識が必要になる.また問題の分析も本質にいま一歩迫りきれていない感じがするが,これはこの集会がかなり初期のものであることを考慮すべきであろう.結局この問題の背後には黒幕としてウイットネス・リーが控えているわけであるが(“オレンジ郡の聖徒達のリー氏への質問状”を参照),彼については十分に触れられていない.まだこの時点では問題の本質が不明瞭であったと言える.しかし,最後の方のダニエル・チューの発言はそれを示唆するものとして注目される.
それはローズミードにある教会の長老が次々と姿を消したり,辞職したりする不可解な事件が発端であった.一般の聖徒達はこの訳の分からない出来事で混乱した.そこで彼らは事実を追求するためにこの集会を持った.参考までに述べておくと,例えばドン・ハーディーはフィリップ・リーの不品行の現場の目撃者の一人である.また彼の発言,“リー兄弟のやり方に従わない者が排除されているように見える”も鍵になる.そして実際そうであることが後に明らかになる.一方ウイットネス・リーは陰でこれらの長老たちを強制的に排除した後、自分の息のかかったフランシス・ボールやジョン・カーンを当教会の長老に任命した。その結果ローズミードにある教会は自らをリー氏とそのミニストリーから分離する.これについてはLA・タイムズ紙の記事ならびにクリスチャン・リサーチ・ジャーナル誌の記事を参照されたい.また当地の教会がウイットネス・リーによってとことん非難されていることはリー氏の88年11月のメッセージにある通りである.
それにしてもこの記録を読んでいて,さすがに陪審員制度が機能している国アメリカならではと感心させられた.日本ではこうはいかない.まず事実認定がこれほど冷静に行われるかどうか,まったく保証がない.おそらくある限度を越えると,情緒的な感情論(ケンカ調か,お情け頂戴調か,もういい加減にしろ調)に走ってしまうのがおちであろう.この点,今回は追求が甘いとは思えるが,アメリカの民主主義の懐の深さというか,各人の個人としての基盤の堅さというか,日本では到底考えられない点でとても印象づけられた.そしてここには自分の家庭である教会を真に自分達の手で守りたいという強い姿勢が見られる.これにも感動した.開拓時代から営々と築き上げた彼らの気質がそうさせるのであろうか.
ローズミードに在る教会の集会の記録
1987年11月 1日
アンドリュー・ムー:ここで5分間休み,そして次の集会に戻ってこよう.
アルバート・リー:兄弟姉妹たち,少し待って欲しい.私たちには考慮すべきある問題が存在する.ワン兄弟,ここへ英語をしゃべる聖徒たちを連れて来て欲しい.ドン・ハーディはここに(中国語集会)いる.私は彼に私たちすべてと交わってもらいたい.
パン・ホ・チェン:兄弟姉妹,私たちの間で何が起きているのか理解する必要がある.
アンドリュー・ムー:兄弟姉妹,こうしよう.11時45分まで通常の集会をして,その後その集会をしよう.質問のある兄弟姉妹はその集会で尋ねることができる.
パン・ホ・チェン:ムー兄弟,15分では短すぎると思う.なぜなら,私たちの家庭にはあまりにも多くの問題が存在するからだ.兄弟姉妹は私たちの家庭における問題に関心を持つ必要がある.私たちは神の子供たちの間で実際に何が起きたのかを知る必要がある.多くの者が私の言うことに“アーメン”と言うと思う:15分では十分でない.起きたことを明確に知る必要がある;なぜなら神の子供たちの家庭において,起きるべきではないことが起きたからである.
アンドリュー・ムー:時間は15分に限定しない.11:45に初めて全てが終わるまで続けよう.
パン・ホ・チェン:私たちすべては現在進行していることを理解したい;そうでないと通常の集会を続けるのは困難である.
アベル・チュー:兄弟姉妹,私には分け与えたいことがある.私たちは確かにここ神の家庭で問題を持っている.このとき私たちはすべての聖徒と交わる必要がある.なぜなら,私たちは教会を愛し,主を愛し,また兄弟姉妹を愛しているから,そしてすべての兄弟姉妹と私たちの家庭で(これらの問題について)オープンに交わりを持ちたいのであるから.兄弟姉妹は多くの疑問を持っていると私は思う.今朝ここには私たちのためにそれらの疑問に簡潔に答え得る兄弟たちがいるものと信じる.
私たちの間にある愛の交わりの故に,私は一つの提案がある.私には教会においてただ歳を比較的取っている兄弟であるという事実の他,何らの立場もない.このことに基づいて,兄弟姉妹,愛の故に私たち全ては主の前で正直に語ろうではないか.私たちは主にあってお互いに愛の中で交わりを持っている.そこであなたの疑問点を尋ねて欲しい.ただし鋭い言葉は使わないで欲しい.私たちは聖徒たちの感覚を愛の中で完成したい.
私たちの間には多くの疑問点がある.特にデイビッド・ワン兄弟に関することである.彼は長老を退いたとはいえ,今だ私たちの間では指導的兄弟である.なぜならそれは命における成長のことがらだからだ.教会を導くことは命の問題である.そこで兄弟姉妹と命の中で交わりを持ちたい.それにこのことは聖書にも基づいている.そこでもう一度兄弟姉妹にお願いする.鋭い言葉を使わないように.ワン兄弟のために状況をあまりにも耐えがたいものにしたくはない.我々は愛の中にいるべきであり,私たちの兄弟が内側で心地よくあれるようにしたい.
したがって兄弟姉妹,もう一つのことを言わせて欲しい.私たちの指導的兄弟たちは命の結果現れた者ではないだろうか?あるいはそれは階級のある軍隊におけるようなものであろうか? それは命の物語である.ワン兄弟とヨセフ・チュー兄弟がここにおられる故に愛の中で真理を語りたい.今日,もう少し言わせて欲しい,私たちは議論したり口論したりするためにここにいるのではない.愛の中で真理を語るためにいるのである.主を第一にしたい.主は私たちの主である.彼は常に私たちの主である.私たちのゴールも主である.私たちの中心も主である.私たちの意義もまた主である.主の言葉を言う以外に私たちはもはや何も言いたくはない.兄弟姉妹が私にこの分け与えの時間を下さった事に感謝する.
マイク・ドワイヤー:私も少し言いたい.私たちが先ほど(数分前に主の食卓で)歌った歌は私たちの父なる神を二つのものとして述べている.“あなたは愛を造られまたあなたは光を造られた”.あなたがたのある者は聖書において“光”という言葉が何を意味するのかを理解していないと思う.聖書は言う,“何でも現すものは光である”.また聖書は私たちは“暗闇に隠されたことを放棄する者”であると言う.今朝ここで明らかにされる事柄を恐れることのないように.わたしたちすべてはここにただ真理を知るためにいるのである.私たちの父は愛と光の両方であることを覚えて欲しい.そして光は暗闇のすべてを明らかにするのである.私たちは無知に留まる者ではない.私たちは“光の子供”である. 私たちは“光の中を歩む”ものである.今朝この部屋に多くの光がありますように.
デイビッド・ワン:聖書の原則によると,私たちがすることはすべて光のもとにある,何でもである.それが公のことであろうと,私的なことであろうとも.これが今日私たちがここにいる理由である.私たちの主は聖徒たちの間における隠されたこと(すなわち,秘密に行われた事柄)を好まない.このことを今オープンにしなければ,ある日彼の裁きの御座以前にすべて暴露されるであろう.
ここ何年間のローズミードにおける私の個人的経験によれば,私たちは決定的にここ私たちの家庭であるローズミードにある教会においてある種の問題を持っている.教会は私たちがただある事実を隠そうとしたが故に何年も苦しんで来た.ある事実を隠そうとして来た.それはちょうど私たちの体が成長するようなものである.そして何年も成長に任すのである.ある日その成長が止まり,そして分裂の枝が出て来る.しかし,教会が前進するために,今が私たちの間のこのような苦いことを取り扱うべき時であると感ずる.
先週ドン・ハーディー兄弟が今週戻って来ると言った.(そして彼に何が起きて彼が私たちを離れざるを得なかったのか交わってくれる).多くの兄弟姉妹たちはなぜドン・ハーディー兄弟がローズミードを去らねばならなかったのか関心を持っているものと思う.多くの兄弟姉妹が私に電話をしてきた.彼らは質問したが,それに答えるのは私には困難であった.今日はドン・ハーディーがいるから,彼自身がそれらのすべての質問に答えるのがよいと思う.それらが消極的質問であろうと,積極的質問であろうとである.これで教会の苦しみを短くできる.
ドン・ハーディー:主イエスよ!!!
デイビッド・ワン:私は多くの聖徒たちに,あなたのローズミードからの移住のことで5人の兄弟たちがあなたのもとへ交わりにきた理由は何かと質問されたが.
ドン・ハーディー:兄弟姉妹,この質問に答える前に歴史少しを振り返る必要があることを強く感ずる.今朝この集会で私たちが言うことあるいは言わないことが何であれ,私たちは主の前に立つことになることをわたしたちすべては明確にすべきである.主イエスよ! 私たちを主に捧げよう,そして私たちの主に対する献身を新たにしよう.
父よ,イエスの血のもとで,私たちの手をイエスの頭に置きます.私たちは罪以外の何者でもありません.主イエスよ,感謝します,罪祭となられた故に! 父よ,イエスは愆祭であることに同意します! おお主よ! 主よ,多くの事において私たちはあなたに違反します.主よ,感謝します.あなたは酬恩祭でもあります.主よ,あなたは素祭です.特に,父よ,常燔祭のゆえに感謝します.私たちの中に完全にあなたのものであるおかたがいることの故に感謝します.私たちはその方と一つです.私たちは私たちの献身とあなたに対する愛を新たにします.おお主よ!あなたの教会を建てて下さい! 父よ,あなたの名前が崇められますように,栄光がここにありますように,そしてキリストが教会を建てられますように.
私は日付は確かでないが,しかしジョン・カーン兄弟が何週間か前にあなたがたに語った通りである.それは何年か前のある長老の訓練においてまた長老の集会において,リー兄弟は彼の内にとても重い負担を持っていた.彼は長老たちにすべてを開いた.なぜならば彼は諸教会は,主のエコノミーは長老たち抜きでは,また諸教会抜きでは前進できないことを知っていたからである.彼は諸教会は長老職無しには前進できないこと,また長老たちとすべての聖徒たちとともなる諸教会なしでは,務めも主の回復も前進できないことを知っていた.フランシス・ボール兄弟,ジョン・カーン兄弟,そして私は,マックス・ラパポートが回復を離れる何ヵ月も以前に,私たちの兄弟(リー)は長老の集会においてその兄弟に仕えることで真実であったことを証言できる.兄弟たち,そうではないですか? 私たちの兄弟(リー)がデイスター(すなわち“DAYSTAR,INC.”,1970年代初期にリー兄弟が過度に関係した会社)において事業をして過ちを犯したとき,−−彼が過ちであると感じ,私たちのある者たちがそうであると感じたこと−−
主はそれを彼と私たちに示され,彼は公に告白し,すべての諸教会に対して悔い改めた.そうではないですか,兄弟たち? 彼はアメリカ中の長老たちを個人的に,私的に,長老の訓練において,また公に訪ねた;彼は悔い改め,許しを求めた.兄弟たち,私の要点はこうである.この兄弟(リー)は彼ができる限り光の中を歩もうとし,またすべての諸教会のためにキリストに仕えようとし,そしてすべての長老たちに真実であろうとしたということである.
そこで,彼は(その長老の集会において)アメリカと極東を旅した後の印象から−−彼はアメリカの諸教会のいくつかを訪問した−−,彼は諸教会はほとんど停滞していると感じたことを私たちに分け与えた.デイビッド(ワン),彼がこのことを交わったとき,そこにいたね? そうね? あなたはその長老の訓練にいた.ヨセフ(チュー),あなたがたは兄弟たちは彼がそれを交わったときそこにいた.彼は私たちに対して誠実であった.そして彼は(リー兄弟)それ以上に進んだ.
私は細部を覚えていないが,あなたがた兄弟たちは数週間前に誠実に,彼がこの停滞の責任は長老たちにあると感じていることを交わってくれた.これが彼が交わったことの結果である.彼は,もし私たちが大きな転機をしなければ,私たちもキリスト教の一つの運動になり,宗派にさえ落ち込む危険があると感じているのである.これで正しいだろうか? 良いだろうか,フランシス(ボール)?
フランシス・ボール:交わりを続けて下さい.
ドン・ハーディー:OK.いいでしょう.とにかく彼は,私たちの幾人か,つまりいくつかの地方の何人かの長老たちは脇へ置かれるべきであるとさえ言った.このことで私たちは主の前で恐れまた気を揉むことになった.私たちは古くなることを望まない.私たちは停滞することを望まない.わたしたちすべては主のこの動きに完全に自分を明け渡した.そして主の前に多く出た.私たちのある者は毎日共に祈った.長老たちや同労者たちである.そしてその毎日の祈りから多くのものが出てきた.私たちは1週間に5回も集まった.そしてそれは多過ぎるので1週間に3回に減らした.私たちは多くの時間共に祈るために集まり,主の回復のために主に対して開いた.
OK.このことの結果,一つの長老の訓練がもたれた.その訓練において,リー兄弟はすべての長老や同労者たちにとても率直であった.彼は私たちに自分の地方に帰ったら,主に対して私たちは何をなすべきか開くように語った.それは私たちのある者が退くべきであろうが,脇へ置かれるべきであろうが,何を私たちはなすべきかなのである.彼がこれを言う前に,私においては,しかし,...(ローズミードの教会には)私たち兄弟たちはある問題を持っているとは言え,私にとってはここローズミードの教会は多くの祝福がある,と感じた.あなたがたは自分の家庭に問題があっても,あなたの家族はそこに存在する.私たちの問題があっても,私たちは進める.どの家庭にも問題がある.とにかく,私たちはそれでも知り得る限りの前進はできた.アブラハム・チャン兄弟の証でも,彼はここで甘い一の感覚と主の祝福を感じたが故に,ローズミードの教会に来ることを愛していたと言った.ある時は,彼はここに移住し私と共に毎朝祈り読みしたかったとさえ言った.
OK.リー兄弟の交わりから,....彼が私たちのある者が退くように言う前にさえ,デイビッド(ワン)と私はある病気の姉妹を病院に見舞った.車の中でデイビッドは私に,“ドン兄弟,ローズミードにおけるあなたの状況についてどう感じるか?”と言った.これはリー兄弟が(私たちのある者が退くことを)言う前であった.私は答えた,“デイビッド,私はここで幸福ではない.自分の個人的生活においても,ローズミードの教会に関することにおいても十分な実りがないと感ずる.” USC(南カリフォルニア大学)の福音集会においても50人が主を受け入れたのを見たとは言え,私は依然実り豊かでないと感じた,私は私が実り豊かでないと感じたのである.そこで私はデイビッドに言った,“デイビッド,私は兄弟たちに開きたいと思い続けている”と言った.“ドン兄弟,ヨセフ(チュー)と私は少し交わった.私たちも同じように感じている”と彼は言った.そこで私たちは主の前に真剣に出るべきであると感じた.そしてここの甘い親愛な兄弟たちは,“兄弟,あなたが移住する負担があるならば,あなたがどの地方に導かれようともそれに関係なくあなたが全時間でやれるように,ローズミードにある教会はあなたをサポートし続ける.”と言った.そこでリー兄弟の交わりの以前においてさえ,私たち兄弟たちは主の前に十分に出ていた.
そして,リー兄弟が交わったとき,私たちはさらに開き,そして務め,リー兄弟との交わりが不十分であると感じた.そこで,かいつまんで言うと,私たち4人の兄弟たち(デイビッド・ワン,ヨセフ・チュー,ドン・ハーディー,ジョン・カーン)はリー兄弟の所へ行った.リー兄弟は一度,あなたがもっとも叱責する者はあなたが最も愛している者である,と言った.その4人の兄弟たちとの交わりにおいて,私はひどく叱責された.そこで私はとても愛されていると感じた.たとえ私たちがアルハンブラまたハシエンダ・ハイツに移住していたとしても,私たちはトランスの一部と感じていても,私たちがこのことに感謝していても,リー兄弟は私を叱責して言った,“ドン兄弟,私はあなたがローズミードの教会を遅らせていることのゆえにあなたを責める”と.私は,...おお主イエスよ!私は基本的にリー兄弟は常に正しいと感じていた−−−あなたは彼を撃ち破ることができない!
私は言った,“主イエスよ! リー兄弟,あなたは正しい”と.彼は“兄弟,...,ドン兄弟と兄弟たち,ローズミードからもっと多くの増加があるべきであった.” 私は“アーメン”と言った.アーメン! そこでデイビッド(ワン)は前向きになり言った,“ならば兄弟,私たちはあなたと交わる負担があった.私たち全ては退くべきというあなたに開き,私たちにあなたはどうすればよいと思うのか”と.この何分か前に,リー兄弟はこの何年間か私が彼と十分に交わらなかったことについて私を叱責したのであるが,デイビッドが私たち全てが退き,彼の手に彼が導きたいと感ずることに私たちすべてを委ねたとき,即座に!,彼は再び私に言った,“ドン兄弟,あなたはそこに余りにも長く居過ぎたと感じないか?!?!,あなたは移住すべきだ! そして新鮮なスタートを切るべきである! そして,スタート...”と.
私は彼が“新しい教会を始める”と言ったのか“新しい教会に参加する”と言ったのかは分からない.彼がそのような用語を使ったのかさえ分からないが,しかしそのような意味の事であった.そして私は言った,“アーメン,兄弟! 私たちはこのことを交わっていました.私たちは皆そう感じていました” そしてリー兄弟と別れてから,車の脇で歩道の所で私たちはさらに(ドンがローズミードを離れ,どこかで主の働きを全時間で行うことについて)交わった.“兄弟たち,どうしたらこの移住をうまく,甘く,調和のあるように行えるだろうか?”
その(歩道の上での)交わりから,寂しいが,しかし愛の中で,ここ(ローズミードにある教会)をあなたがたに公に交わって離れようとした時までの間に,あることが起きたのだ! 今日に至るも私たちは何が起きたのか正確に把握できていない.しかし兄弟姉妹,何が起きたのか掘り起こし尋ねることをしないように神の臨在の光の中であなたがたに懇願する.何故私があなたがたに何も言わずに離れ,何処へ行ったかも明らかにしなかったかをあなたがたに簡単に短く語りたい.そしてこれを掘り起こさないようにお願いする.今日から後,主の血をとって,お互いに許し合い,そして前進しよう! 私たちがこれから交わろうとしていることも主はあなたの思いを覆ってくださるであろう.今私たちはあなたがたに霊を開こう!
私が理解しているところによると,次に起きたことは,後にジョン・カーンが“ある個人的交わり”と言っていることのために,彼がジョン・インガルスに会いに行ったことである.先週の火曜日の朝,彼はジョン・インガルスのもとへ,彼が言うところの有罪とされる何か−−私はこの言葉を使うことを好まない−−,そして私たち(デイビッド・ワン,ヨセフ・チュー,ドン・ハーディー)を巻き込んだ何かがあるのかを確認しに出かけた,と私に語った.彼は私の名前を言わなかったし,私もそれを理解しているが,彼は他の兄弟の(デイビッド・ワン,ヨセフ・チュー)名前も言わなかったのである.彼は自分の個人的生活を交わったのである.しかしながら,彼はまたローズミードにある教会と共なる自分の個人的生活についてのことを交わったか,あるいはローズミードの教会を巻き込んだのだと私は思う.
ここで3つの原則について短く交わらせてほしい.長老達に責任がある場合は,彼らは多くの長老の集会で十分な交わりを持つべきである.集会で交わっているうちに彼らが結論に到達した場合,彼らはその交わりの外部でそれを語るべきではない.第2に,長老達は家に帰り,自分の妻に長老の集会で明らかになったことを話すべきではない.第3に,あなたのいる教会あるいは主の回復と呼ばれるところで何か問題が生じた場合,それの取扱いにおいては十分慎重にするべきである.あなたがたは強い霊を持ち,そしてリー兄弟もそうするように望んでいるのであるが,使徒に任せなさい! そうすることは聖書的である.あなたがたが,リー兄弟あるいは他の神の新約のエコノミーを代表する兄弟の務めを受けているときはいつでもあなたがたの霊を使い,何が語られているかを把握し,主の前に行き,それについて主と共に扱うべきである.
とにかく,私たちの兄弟たちの交わり(すなわち,ジョン・インガルスとジョン・カーンとの交わり)から,私は思うのだが,ジョン・インガルスは何かについて警戒感を強く抱いたのである.彼は(ジョン・インガルス)この結果何かを言った:“これはきわめて深刻である! 兄弟達を呼ぼう”と.そして私の理解は,ジョン・カーンはジョン・インガルスとの交わりの後,ビル・ドゥアンとミノル・チェンを呼んだ...あるいは連鎖反応が起き,5人の兄弟達(フランシス・ボール,アル・ノック,ミノル・チェン,ビル・ドゥアン,そしてケン・アンガー)は共に来た.ヨセフ(チュー),デイビッド(ワン)そして私はジョン・カーンの(ジョン・インガルスあるいは5人の兄弟の誰かとの)交わりについては何も知らない.
ある晩,火曜日の祈りの集会の後,私はヨセフ(チュー)とデイビッド(ワン)が話しているのを聞いた.彼らが話している間に,ヨセフあるいはデイビッドの言ったことが私の注意を引いた.彼らは幾人かの兄弟達との集会について何かを言っていた.(この集会は前のパラグラフで言及されている5人の兄弟達が一緒に来たときのことである.その際,デイビッド・ワン,ヨセフ・チュー,ジョン・カーンは含まれていたが,ドン・ハーディーは除かれていた)そして私は言った,“何だって?!”と.そしてヨセフ兄弟だったと信じるが,私の方を向いて言った,“私たち5人の兄弟が集会をもったのを知らなかったのか.あなたはそこにいなかった!”.そして何かが起きていた! 私たちは正確には知らない.それはこの影響である.私はショックを受けた! 私は“何だって?!”と言った.彼は言った,“その通りだ.デイビッドはその集会をするとき,‘ドン・ハーディーはどうする?’と言った”.そして私の理解によると,その兄弟は“ドン兄弟がいる必要はない”と言ったのだ.
ほぼ11年間,ビル・ドゥアン兄弟と私は電話および会って,ある場合は1週間に何回も可能な限り交わりを持っていた.このことは(その期間のローズミードにある教会の)電話代の請求書を見れば証明される.ほとんど1週間に一度はジョン・カーン兄弟と私は昼食あるいは夕食を共にしようとした.私の感じでは,ジョン・カーンと私の間に,私をとても警戒させる何かが起きたのだ.私は詳細には入りたくない.私はビル・ドゥアンを呼んだ.私は言った,“何かがおかしい.私はすぐにジョン・カーンのところへ行かなくてはと思う.私たちのために祈ってほしい” そしてまた,同時に私はフランシス・ボール兄弟を呼んだ.なぜなら私は二つのこと,すなわち私の移住の件と移住したがらない家族の件について彼と真剣に交わりたかったからである.
第二に私がしたことは,彼と共に交わるためにフランシス・ボールに電話をしたことである.そのとき彼は言った,“兄弟,何人かの他の兄弟たちもまた私たちと会って交わる負担を持っている.アナハイムにある教会の長老のオフィスで会うのはどうだろう?”,そして彼は(会うための)時間を決めた.アナハイムのこの交わりに来たとき,オフィスに入る前に私はショックを受けた.なぜなら,ビル・ドゥアンがそこにいたからである.私は言った,“やービル,ここで何をしているの?”.彼は“知らないよ!”と答えた.“ぼくはここに来るように呼ばれただけだ”.私はいぶかしがった.“これは何だ?”そして部屋に入った.そこには,フランシス・ボール,ミノル・チェン,(アル・ノック,ビル・ドゥアン,ケン・アンガー)の5人の兄弟がいた....(これはデイビッド・ワン,ヨセフ・チュー,ジョン・カーンはいなかったが,5人の兄弟達の2度目の集会であった) 私は詳細には触れたくないが,そこには彼らがいた.私はショック状態にあった! “これはなんだ? 何だか大変だぞ!”
その集会での交わりを要約すると,ある兄弟が私に暗示した...彼らは私にローズミードを去ることと....なぜなら私の家はアナハイムにあったから,アナハイムに住むことについてどう感じているか尋ねて言った,“あなたはアナハイムに留まったらどうか?”.私は言った,“それは真に兄弟達が感じていることか?”彼らは“そうだ”と言った.リー兄弟の交わりについて,彼らと,すなわち私たちのうちの4人(デイビッド・ワン,ヨセフ・チュー,ジョン・カーン,ドン・ハーディー)が交わりを開始したのであると私は思う.そしてそれは私が移住し,あるいは新しい地方に行きそこで働くこと(ドンの気持ちの中にある働き)についてであった.ところが一人の兄弟が言った,“ドン兄弟,もはや(務めの為に)働くことは要らない!”
そして私は,...私は少し,...私は本当に悩んだ.私はこのことを完全に明確にしたいと思い,そこで私は言った,“長老は要らない,(務めのための)働きも要らない,と言うのがあなたがた兄弟達が感じていることか?”と.彼らすべてが,少なくも彼らのうち3人が(フランシス・ボール,アル・ノック,ミノル・チェン)言った,“アーメン,その通りだ”.一人が言った,“行きなさい,私たちはあなたは仕事(普通の仕事)をすべきであると感じている.” そして私は言った,“もしそれが兄弟達がアーメンと感じていることであれば,私はどんな仕事をしていいか分からない.私は55歳であり,学位も持っていない.私は何をすべきか分からない.何をすべきなのか?” 一人の兄弟(アル・ノック)が言った,“ホットドッグ・スタンドで働けばいい!” 私は言った,“兄弟たち,私はちょうど家を買ったばかりだ.どのようにして支払をすればよいのか分からない.” 彼は(同じ兄弟)言った,“イエスのためにそれを手放しなさい!” そして私は“オーケー,兄弟たち,アーメン”と言って離れた.
このことが起きたとき,私は感じた,“主よ,私はローズミードのためにどうするべきでしょうか?” そして私は実際的に“超霊的”になり,そして私は“よろしい,ニー兄弟のようである.私はチャン兄弟から,彼がしばしばしていたことを聞いていた.私は姿を隠そう.私は何も言わずにただ姿を隠そう”と感じた.
ジェーン・チェン:これらの5人の兄弟達は働きを代表する権威をもっているのか? またあなたを取り除く権威があるのか? (デイビッド・ワンは通訳してドンのためにこれを通訳した)
ドン・ハーディー:あなたはそれを私に聞くのか? (ドンはデイビッド・ワンにそう尋ねた)
デイビッド・ワン:彼女が尋ねている.
ドン・ハーディー:兄弟姉妹,私は知らない...私は何が起きたのか分からない.私は彼らが働きを代表できるかどうか分からない?!? 主が御血で私を覆ってくださる.ヨセフ(チュー),私を許してほしい,私は構わない.私はそれをポジティブに言った.兄弟姉妹,私はここに同情を求めるためにいるのではない...そうでなく,何にもまして,姿を消すというような幼稚なことをしたことについて私は兄弟姉妹に許してもらうためにここにいる.どうか私を許してほしい.私たち兄弟達は,指導をとっているときにはいかなることにも政治的で会ってはならない,と感じている.あなたがたは真理を語るべきである.もし殺されようとも真理を語るべきである.しかし!しかし! また治めるための原則がある...それは御体の建造のために語ると言うことである.ある時には,あまりにも語りすぎることは建造するよりも,損傷を与えてしまうのである.
兄弟姉妹,私は個人的には,私たちは啓示録の1,2,3章の時にあると感じている.もしあなたが実際を持っているならば,神はあなたを天使とみなすであろう.彼はだれが責任をとれるか知っておられる.私たちはこのように考えるべきではない.私たちはそうではなく,主と共に歩むべきである.家に帰り,啓示録1,2,3章を繰り返し繰り返し読んでほしい.兄弟姉妹,もし兄弟達が過ちを犯したとしても,神は,...私は憤慨したのでジョン・インガルスに語ったのであるが,...また聖書は,もしあなたが怒らされたときは兄弟達のところへ行き,彼らに語りなさい,と言っている.そこで私は行った.何ヵ月間か,祈り,悩んだ後,私はすべてのことを明らかにするためにある兄弟達のもとへ出かけた.そしてジョン(インガルス)兄弟は言った,“何かが起こったにも拘らず,これらの兄弟たち,これらのことに拘らず,ジョン・カーンに拘らず,他の兄弟(フィリップ・リー)に拘らず,あなたがある問題に巻き込まれたことに拘らず,私はそれらは問題としない.私たちは今でも同じように感じている,あなたが退き,辞職し,仕事(普通の仕事)をすることについては同じように感じている.”
そこで私は言った,“OK,兄弟たち,それがあなたがたが感じていることであれば,それが私が受け入れねばならないことである.” しかし,内側では理解していた(これは私について個人的に言っているのではない,しかしそれは原則である):もしあなたがたが実際を持っているならば,...ニー兄弟と同じように,彼は投獄された;(しかし,依然として)多くの人々がウォッチマン・ニーを通して救われている.(ここで,ドンが語っているとき,エド・ミチオカ兄弟が何かを言うために立ち上がった) エド,ちょっと待って.(エドは立ったまま) チャン兄弟はよく言った,“もしあなたがけなされたとしても,兄弟達があなたに何かをし,あなたを引き下げたとしても,あなたは下降することはない,なぜならそれは復活の命ではないからだ.そしてすぐにそれに気づき,祝福がもっと増す.” ハレルヤ! ニー兄弟は投獄されたが,命はそれでも現れた!あなたが長老かどうかは問題ではない.ただ命のために行き,教会のために行くだけである.私が働き(務めの働き)から外されても,また長老の交わりから外されても,主は私を覆ってくださり,魂は依然救われている! そして教会の一部である! 神に栄光を!
エド,もう一つある.(エドはいまだ立って語るのを待っている.ドンは続ける.) 兄弟姉妹,私はこれらの兄弟たちのテープ(ローズミードにある教会の1987年10月18日の主日の朝のオーディオ・テープ)を聞いたとき,デイビッド・ワンの辞職について聞いたとき,ヨセフ(チューは締め出されていた)のことを聞いたとき,5人の兄弟達が私のところへ来たときよりも,私の心は完全に打ちのめされ,打撃を受けた.私は言った,“主よ,何が起きているのですか?!? 私は分かりません.” しかしかれらの誰も私を呼ばなかった.私たちはそれについて噂話はしなかった.私はただ主のもとへ行き,言った,“主よ,あなたの名前と栄光を立証してください! すべてのことの上にあなたの栄光を置いてください”と.
もう一度,あのような幼稚な方法で,また“超霊的な”方法でここを離れたことを,私はあなたがたに許してほしい.それは正しくなかった.おそらく,私があのような問題と噂の原因となっているのだと思う.どうか許してほしい.
ダニエル・チュー:(多くの問題と噂を生み出したのは)あなたではない!
ドン・ハーディー:もう一つある.兄弟姉妹,私は座ろう.兄弟姉妹,私は,務めに逆らうある者たち,あるいはリー兄弟が最近福音のやり方について交わっていることに反対する者達が排除されているように見えることにひじょうに悩んでいる.
エド・ミチオカ:兄弟,今朝のこの集会はそのようなことのためではない!!!
ドン・ハーディー:OK.しかし私はそのことに負担がある.(この時点において多くの兄弟達が[声を合わせて]ドンがこのことについてこれ以上語る事に反対した.なぜなら彼らはそれはドンが交わるように要求された目的と何等の関係がないと感じたからである)...よろしい,いいだろう.
エド・ミチオカ:あなたが語り始めた事はまた別の事である.私は2つの質問がある:第一に,なぜあなたは今日移住させられたかその理由を知っているか?
ドン・ハーディー:知らない.
エド・ミチオカ:OK.では,第二に,そのアナハイムの集会で彼らがあなたを排除した時,ヨセフとデイビッドは出席していたのか?
ドン・ハーディー:いいや.
エド・ミチオカ:では,兄弟姉妹,私は言わねばならない:兄弟,ある人を個人的であろうとなかろうと許すことはあなたの問題ではない.ローズミードにある教会の長老職が干渉され,行政が駄目にされた! わたしたちは何か個人的な事を語っているのではない! それはあなたとジョン・カーン,フランシス・ボール,ジョン・インガルスの間の問題である.兄弟,あなたは当地の長老職が損傷されたことを理解しなくてはならない! それは個人的な事柄ではない! ここの聖徒たちはなぜ長老達が排除されたかを理解したいのだ! 彼らのうち2人も!! そしてなぜ一人が辞職したか!!! 兄弟達,なにか個人的な事だけであれば,私たちはそれを放置できる! このことはローズミードにある教会全体に影響を及ぼしている! 私はこのようなことが私たちの間で起こる事をなぜ許していいものか理解しかねる!
マイク・ダイヤ―:OK.彼は(エド)これらの二つの質問を望んでいる.それは長老職が,すなわち私たちの間の行政が,そのことに関わりのある長老職にある一人の兄弟を除いては誰も知り得ないような方法で干渉されたことを,皆が明確になるためなのである.私たちが明確にしたい事はその点である.私は“私たち”と言った,なぜなら私はエドと一つであるからである.私たちは明確にしたい.無知であってはならない! 長老職は,すなわち私たちの間における行政が,光の中にないそのような方法で干渉されたのである.
パン・ホ・チェン:ここで私も質問をしたい.1週間ほど前,私は台湾に行った.私は個人的仕事でそこに行った.そのような機会ではあったが,私はそこで何人かの兄弟達と交わりをもち,またリー兄弟とも個人的に交わった.私たちはここローズミードの状況について交わった.彼らはローズミードで何が起こっているか既に知っていると言った.しかしながら,ここと彼らとの間には(私が知っている事と彼らが知っている事との間には)大きいギャップがあった.彼らが知っている事はここに(ローズミード)しばらく滞在した若い働き人たちからであり,またフランシス・ボールとジョン・カーンの交わりによるものであった.私が台北にいたときに聞いたことから,私は彼らが聞いている事はここで実際に起きている事とまったく違う事を発見した.
リー兄弟との交わりに先だって私は1通の手紙を受け取った.それはここの兄弟達から台北にいるチェン兄弟へのものであった.この手紙は3週間ほど前に起こったある事柄についてのものであった.それはデイビッド兄弟からここローズミードにある教会の兄弟達への公開書簡であった.それは彼の辞職についての公衆への手紙であった.その中にある文章がある,それはここにいるすべての者達,ローズミードの教会のすべての者達に説明されるべきである,と私は思う.実際に読んでみたい,“兄弟姉妹,過去2カ月間において,とくにフランシス・ボールがここに来てから,兄弟達と積極的な方法でやっていこうと私は最前を尽くし,私はやった.しかし,1週間ほど前に,何かが起きた.私は態度を変え,努力することを諦めた.なぜならローズミードの状況を癒すことは不可能であると私は感じたからである.” 私たちの家族においてこの文章はとても重要であると感じる.ワン兄弟に,実際何が起こってあなたの態度を変えさせ,努力を放棄させたのか,私たちに語って貰いたい.
デイビッド・ワン:それは中国語で語るほうが私には容易である.フランシス・ボール兄弟はリー兄弟と交わったゆえにここに来た.しかし彼は(彼が来なかった)6カ月の後,私たちは(彼が来るのか,来ないのかについて)何も聞いていなかった.私たちはこの兄弟の主にある経験はたぶんローズミードの(ドン・ハーディーとジョン・カーンの間に問題が起きた後の)状況に助けになるものと考えていた.私の辞職を述べた手紙の中で,“私の態度を変える”1週間前に私はあることが起きたことを述べた.その“あること”とは実際には2つのことであった.これらの2つのことが私の態度を変えさせた.私は完全に打ちのめされ,主の前で泣いた.私はこのような種類の“調和”に私の時間と精力を費やしたくないと感じた.チェンがこの問題を再び述べたとき,そして...そして...彼は再び私に痛みを感じさせた....おお,主よ!!!
これらの2つのことは,土曜日(1987年10月3日)の深夜12時以降であった.第1の事はダニエル・チューを排除する事であった.なぜなら彼は...その土曜日(10月 3日)の夜,ダニエル・チューの家で集会があった.集会の終わりに(デイビッド・ドン兄弟がフランシス・ボール[彼はその集会にデイビッド・ドンとともに出席していた]に通訳していた),ダニエル・チュー兄弟は“あす私たちはアナハイム(主日の朝の集会)に行かないつもりだ.私たちすべてはローズミードで集会する”と報告した.これは....フランシス・ボールとデイビッド・ドン両兄弟がいた時のことで,ドン兄弟がフランシスに通訳していたのである.フランシス・ボールは私を(その土曜日の深夜電話で)呼んで言った,“私はフィリップ(フィリップ・リー)と交わった.またジョン・カーンとも交わった.私はこのこと(ダニエル・チューの報告)を深刻な事と思う.ダニエル・チューは長老ではないのに,なぜ集会にいる聖徒達をアナハイムに行くなと挑発するのか?”と.しかし私は彼に言った,“教会において責任を負う兄弟として,私たちは両サイドから聞く必要がある.また私はあなた(フランシス・ボール)の側に立つこともできない.そしてこの問題は彼が私たちに交わったことにのみ基づいて取り扱う必要がある.私は何が起きたのかダニエル・チューに確認する必要がある.”と.私は自分の良心に反する決定はできないと感じた.ところが,こう言うと兄弟の私に対する調子が変化した.彼は非常に強くなった.兄弟は私に言った,“では,あなたは私にここで何をして欲しいのか?” その時刻はすでに午前12時20分であった.彼は言った,“ダニエル・チューを呼んで今彼と会おう!” しかし私は兄弟に言った,“もう深夜の12時過ぎである.明日にできないか? 私は寝たい.”(これが第1のことであった.)
10分後にまたフランシス・ボールはまた電話してきた.これは第2のことに関する事である.彼は言った,“私とジョン・カーンは次のように感じている.アナハイムで(南カリフォルニアのすべての諸教会との)合同の集会があるのだから,また台北からタイタス・チュー兄弟と2人の兄弟が集会を顧みるためにくるのだから,私たちは皆アナハイムに行くべきであると感ずる.私とジョン・カーンは集会所に鍵を掛け,聖徒たちにアナハイムに行くようにとの張り紙を門に貼るべきであると感じる.”と.私は非常に強い調子で,“私は同意しない!”と言った.私は“すべての兄弟と接触できる方法がないから,私は同意しない”と言った.それに,私たちの過去の経験から,これはドン・ハーディーも知っているが,どのような集会がアナハイムであるかは問題ではなく,人々は自分の地方の集会に行きたがっているのである.
そしてフランシス・ボールが私に答えたこと,また彼の言ったことは私をとても傷つけ,とても悲しませた.彼の態度はきわめて強く,決定的になった.彼は,もし私たちがここで(ローズミードで)集会をしようとするならば,私たちはもはや務めと一つではない,と言った.しかし私は彼に,“一つ”であることは霊の中でのことがらであると言った.もし私たちが霊の中で一つでないならば,私たちは例えアナハイムの集会に出ていようが,私たちは一つではないのである.もし私たちが霊の中で一つであるならば,私たちはたとえローズミードの集会に出ていようが,私たちは一つである.“一つ”か“一つでない”かは命の成長の過程の問題である.このことの故に,彼が受話器を保持する道はなくなり,また私も受話器を保持する道がなくなり,私たちには結論に達する道が無くなった.数分後,彼は再び電話してきた.そして言った,“誰でもアナハイムに行きたい者は行き,ローズミードに留まりたい者は留まれば良い,と決断した.”そこで私はフランシス・ボールに,あなたは私がアナハイムにいくことを望むのか,ここに留まることを望むのか,と聞いた.彼は,私がアナハイムに行くべきであると答えた.これがその朝の私がアナハイムの集会に行った理由である.
私たちが事を顧みる方法は,“私はすべき”か“私はすべきでない”かと問うことではないと感じる.また“賢明である”か“賢明でない”かと問うことでもない.それもまたあなたの霊の事柄である.私の理解によれば,(フランシス・ボールから出てきた)この霊は正しくない.
昨日,フランシス・ボールは私に電話してきて,この件に関して私に詫びた.彼は私に詫びた.主のまえにおいて,もしそれが単なる個人的な事柄であれば,私は兄弟の謝罪を受け入れたい.誰も過ちを犯す.しかし私たちの直面している事実は(これらのことの故に)教会が損傷を受けているということなのである.
マイク・ドワイヤー:これが第2の事である.ドンとともにこれを取り扱い,その状況が明確になった.それは長老職が干渉を受けたことである.今また,デイビッドの分け与えから,彼は2つの事によって辞表を書いたことが分かった.2つの事である.実際に,通訳の際,何か漏れている点があるかも知れないから,私はおもに英語を語る聖徒達のためにこれらの点を繰り返したい.第1のことは,ダニエル・チューが自分の家に於ける中国語の集会でここローズミードに来ることについての報告,すなわちアナハイムにおける合同の集会があるにも拘らず,ここで集会をする旨の報告をしたことである.そしてその報告はフランシス・ボールに間違って通訳されたのである.いいだろうか? フランシスはダニエル・チュー兄弟が長老達の交わりの外でここローズミードで集会を打ち立てようとしたと考えた.そこでフランシスはそのことを考慮する必要を感じ,ある他の人々に−−−フィリップ・リーとジョン・カーンに電話した.そして深夜にデイビッド・ワンに電話した.彼はデイビッド・ワンにその夜にダニエル・チューを対処して欲しかった.そしてデイビッドは言った,“もう深夜だ.それは重要ではない.明日でも良い.”そしてもう一つのことは,彼は(フランシス・ボール)ダニエル・チュー側の話を聞くことなしにダニエル・チューを対処しようとしたことである.実際には,彼は(ダニエル)はそのような報告は決してしなかった.そこでデイビッドはそのことで悩んだ.
そして彼らは電話を切ったが,フランシスは再度電話してきた.それはもはやダニエル・チューについてのことではなかった.むしろ,“集会所の門を閉鎖せよ!”と言うのであった.これは明きらかである.再度言うが,これは個人的な問題ではない.
私はその日の次の朝(10月4日)のここローズミードの集会に出席していたが,120 名の聖徒達がここの集会所に集まった.文字どおりには,問題が正され,フランシスはデイビッドと正常になったとは言え,何かおかしなことがここで進行していることを私たちは指摘しなくてはならない.彼らは集会所の門を閉鎖し,そして門に“すべての者はアナハイムに行かなくてはならない”という貼り紙をしようとしたのである.いいですか? これが第2の問題である.これはデイビッドの良心を損なった.このようにすること−−−彼はそれができなかった!!!
また私は誰でも主と一つである者は同じ感覚を持つであろうと思う.しかし,その時当初は,いわゆる“交わり”の感覚ではなかった.OK? これがデイビッドの経験した状況であった.ここで第3の状況あるいは問題を聞こう.
パン・ホ・チェン:ダニエル・チューの家の集会に関して,私たちはそこでしばらく集会をした.私たちは神の言葉,純粋な御言葉を経験し,その結果霊的な養いを受けることができたと私たちは感じている.その土曜日の夜,ダニエル・チューの家で,ローズミードにいないある姉妹からの電話を受けた.その姉妹は,あすはローズミードで(朝の)集会を持つべきではなく,ローズミードの集会に出ている人はすべてアナハイムに行くべきである,と言った.このゆえにチューは集会の後報告をしたのである.彼は言った,“私たちは今この注意を受けたから,緊急的な状況である.私はすべての聖徒たちに知らせたい.私たちはできる限り多くの聖徒たちに伝えたいが,すべての人に伝える方法がない.もしアナハイムに行けるならば,また行きたいのならば,そうしたら良い.しかし行けない聖徒たちあるいは今の注意を受け入れたくない聖徒達はここの(ローズミードの)集会に出ればよい.私たちのある者がそうしたいならば,私たちは彼らとともにここに残ることもできる.” その土曜日の夜は,フランシス・ボールとデイビッド・ドンを含めて全部で30人の兄弟姉妹がいた.私はその報告を聞いたすべての者がこのことを証言できると思う.その報告のなかでダニエル・チューが言った事は絶対にフランシス・ボールがデイビッド・ワンに語ったような内容ではない.
チャン・リウ:リー兄弟の息子フィリップ・リーに関する供述があった.長老達は決定をすべき者達である.リー兄弟の息子とはあたかも決定をなし得る者のように見える.私にはそれは理解できない.彼の息子に関しては,私が聞く限りにおいて,何等良い点がない.悪い事だらけである.しかも彼が教会において決定をしているのである!!! 私は奇妙であると思うし,それは正当でないと思う.
ダニエル・チュー:その主日の朝(10月4日)の集会には 120名の兄弟姉妹たちが出席した.そこで私は皆に聞きたい.もし私たちが門を閉鎖したら,120名の兄弟姉妹達はどういうことになったであろう? 彼らは家に帰らなくてはならなかったろうか?
そして私たちは本当に主の回復のためにあるのだろうか? 私たちは兄弟姉妹の霊のためにあるのだろうか? もしそうであるならば,私たちはそのような種類の集会を持つべきである!!! その日ローズミードの集会に出席した兄弟姉妹は皆,その集会はキリストで満ちあふれたことを証できると思う!!! 私はその朝の集会にアナハイムに行った兄弟姉妹の何人かにそのことを語った.彼らはローズミードに留まるべきであったと語った.
土曜日の夜私の家で集会を持つ理由は,自分たち自身で集会を持っている兄弟姉妹のグループがあるからである.彼らは後になって,教会の集会にはあまりにも多くのプロパガンダ(悪い意味での宣伝活動),あまりにも多くの活動が存在し,命の供給があまりにも少ない事に気づいた.彼らは霊的な供給が確かに不足していることを感じている.この理由の故に,私たちは兄弟姉妹と次の一つの事をしたいと願い,また共に集まりたいと思っている.それは主をきわめて単純な方法でエンジョイすること,純粋な心から主を呼び求める者達と主に付き従いたいのである.これが私たちが土曜日の夜集会を持つ理由である.主を賛美します.
昨日の夜の集会を含めると,すでに私たちは11回の集会を持った.それらのどの集会でも私たちは主に触れられた! 私たちが主を求めるときは常に主の祝福があった.私たちは全部で11回の集会をした.フランシス・ボール兄弟とデイビッド・ドン兄弟はたったの1度来ただけである.いや違う,半回と言うべきだ.なぜなら彼らは45分遅れてきたからである.彼らはゆっくり歩いてきた.彼らは半分出席しただけなのに,彼らが来るとすぐさま問題が生じた.私たちは半分集会しただけで,そのような大きな問題を抱えてしまった! すぐさまそのような大きな問題を抱えたのだ! それはデイビッド・ワン兄弟を辞職に追い込んだ.私は主の中ですぐに考えた.私たちの主日の朝の集会で,彼ら(フランシス・ボールとそのとりまき)が出るときは常に私たちは問題を持たずに済むだろうか???
教会は私たちの甘い家庭である.しかし,私の家の集会で30人の兄弟姉妹の前での小さな証がそのように歪曲され,私は告発されることになった.そして私を排除しようとする企てがなされた! 兄弟姉妹,私たちは実際には戦う価値のないことである.私はこのことで自己弁護しようともこのことで戦おうとも思わない.しかし私が言ったことを歪曲されることも,すべての兄弟姉妹の一を損傷するための道具として用いられることも望まない.
兄弟姉妹,これが私たちの甘い家庭であろうか? これが私たちが愛している教会であろうか? (私たちの間の状況がこうであるとすれば)誰が交わりを与え得るか私は問いたい.なぜこのような状況なのだろうか?!? 教会は私たちの心のあるところであり,私たちの命が属しているところであると誰が言えるのか?今は私は兄弟姉妹の前に事実を置く事ができるだけである.
2週間前,フランシス・ボールはここに立ち,ヨセフ・チューのことについて語った.すなわち彼が(フランシス)ここへ来る以前は,何事も最終的でなかっった.また彼は,このこと(ヨセフ・チューがローズミードの長老職から排除されること)がヨセフ・チュー兄弟に漏れなかったならば,それから何等のことも生じなかったであろうし,すべてのことはうまく行っただろうと言った. 私は(彼がこのことを言った集会を記録した)テープを持っている.私はそれを3回聞いている.私はいまだに自分の耳を信じられない.私は質問をしたい.フランシス・ボールがここ(ローズミードにある教会)へ来る以前になぜリー兄弟はデイビッド・ワンを電話で呼んだのか? それだけだったのか? その電話(とその内容)がもしヨセフ・チュー兄弟に漏れなかったとしたら,ここで平和があったとあなたがたは本当に思うのだろうか? ヨセフ・チュー兄弟について言われた言葉に関しては,ひじょうに多くの正しくない告発が私たちの親愛なる兄弟に対してなされたことを私たちは知っている.しかしながら,私は訊ねたい,これらの告発をしたのは一体誰であろうか? 誰がこれらの告発を流布したのか?
もう一つの質問をしたい.ここに座っているたいていの兄弟姉妹がアベル・チュー兄弟を知っている.数週間前,水曜日の夜,ある者がリー兄弟に,アベル・チューの家でアベル・チュー兄弟は分派をつくるために人々を集めていると告げた.私はこれらのことについてデイビッド・ワン兄弟に確認して欲しい.
デイビッド・ワン:リー兄弟は私を電話に呼んだ.彼はヨセフ・チュー兄弟の状況について知りたがった.彼は私にすべてを語るように言った.私はリー兄弟に尋ねた,“どこから始めましょうか? どの点についてですか,リー兄弟? チュー兄弟が‘ニューウエイ’に従っているかどうかに関して言って欲しいのですか?”.リー兄弟は私に言った,“OK.そこから始めて”.そこで私は,ヨセフ・チューは比較的に言って,彼はこの“ニューウエイ”に従うことには緩慢であると告げた.リー兄弟は言った,“どの点で?”.私は言った,“例えば主日の朝,私たちは新しい人々(新しく救われ,バプテスマを受けた者たち)を集会のために集会所に連れて来ないようにはなっている点.” リー兄弟はかつて自分はそのようには語ってはいないと言った.彼は非常に多くの言葉を使って(それはここで翻訳するのは不可能である),そして言った,“それらの言葉(新しい人を主日に集会所に連れて来ないことに関する言葉)は悪魔からのものである.”リー兄弟は私に語った,“それは私の導きではない.‘ニューウエイ’の導きはそのようなものではない.” リー兄弟はまた聞いた,“その他に何かあるか?” 私は答えた,“霊を解放するときに椅子の上に乗り,両手を挙げなくてはならないことについて,チュー兄弟はそれに賛成していない.” リー兄弟は自分はそのような教えをしてはいないと述べ,“その教えは誰からか? 私はそのようなな教えはしてはいない.”と言った.私は“これらが2つの点である.”と言った.
リー兄弟は,当初から自分はヨセフ・チューを長老に任じていないという事実を述べた.私はリー兄弟に,私の記憶によると,チュー兄弟がアメリカに移住してきた直後から,リー兄弟は彼にエルデン・ホールに助けを与えるために行くようにと語った,と言った.リー兄弟はこれを認めた.しかしながら,リー兄弟が彼をエルデン・ホールに行かせたのは(長老としてではなくて)同労者としてであった,と言った.これが2週間前に,私はここで立って,チュー兄弟は長年私たち3人の長老達(私,ドン・ハーディー,ジョン・カーン)とともにいて,また彼は長老として私たちと調和してきたことを,あなたがたにお語った理由である.私たちは彼が長老の立場にあったと感じた.
リー兄弟はまた他のことについて聞いた.彼はある報告を聞いていた.彼は,なぜアベル・チューが自分の家で集会を持つために人々を集めているのかと尋ねた.彼は,そのことはきわめて深刻な事であると言った.私はリー兄弟に,あなたは間違ったことを聞かれたのでしょう,と説明した.私は彼に,水曜日の夜の集会は中国語の祈りの集会であると説明した.私たちがこの中国語の祈りの集会を(水曜日に)開始する以前は,兄弟姉妹はまだ覚えていると思うが,モンテレイ・パークとモンテベロから来た中国語を語る聖徒達がアベル・チュー兄弟の家で祈りのために火曜日の夜集会していた.その他の中国語を語る聖徒達は私の家で集会した.後に“ドア・ノック”が始まると,火曜日の集会は訓練のために使われるようになった.私たちはそこで2つの集会を一つにまとめ,アベル・チュー兄弟の家で水曜日の夜単に祈りのためにだけ集会することにした.これは教会の祈りの集会である.そしてアベル・チューが分裂を起こすために人々を集めているのではない.そのような訳で,リー兄弟は私の説明を聞いてから“よろしい.私が聞いていた報告は正確でなかった.今そのことが明らかになった.”
ダニエル・チュー:私は兄弟姉妹に聞きたい,“これらのことが悪意があろうがなかろうが,ひどかろうがなかろうが,どうしてこれらの言葉がリー兄弟の耳に入ったのか?!?” もう一度尋ねたい,“誰がこれらの言葉を語ったのか? 誰がこれらを表へ出したのか?” 兄弟姉妹,ここに座っているあなたがたすべてに尋ねたい,ローズミードにある教会の“小さな兄弟”,“小さな姉妹”の中で,誰がそれらのことをリー兄弟の耳に入れることができるのか??? もし私たちの誰かがリー兄弟に電話したいとしても,誰がリー兄弟の台湾の電話番号を知っているのか?!? ローズミードにある教会にあって,誰がこれらのことを広めることができるのか???
兄弟姉妹,このことについて少し考えてみたい.2週間前,この集会所の集会で,ジョン・カーンは公に自分はドン・ハーディーについてネガティブな言葉を一言も語っていないと言った.そして今朝ここで,同じ物語のドン・ハーディー側のすべてのことを聞いた.兄弟姉妹,私たちは皆明確になる必要がある.私は自分の耳を信じられない.皆のいる前で,彼(ジョン・カーン)は真理を欠いた言葉を語ったのである.この人物が私たちの模範であろうか? この人物は私たちの間で責任を任せられる兄弟であろうか?!? このようなことを言う者が私たちに“命の木”のもとへ行くように私たちに語り,自分は“善悪知識の木”の下で自分を守るために一時しのぎのシェルターを作っているのである.先週,主日の朝の集会の後でドン・ハディーは,今日のローズミードの教会の状況の責任は90%ジョン・カーンにある,と私に語った.兄弟姉妹,これらすべてのことは偶発的なことではないのだ!
同時に,ドン・ハーディーの問題(正当でない方法で長老職を離れたこと)については今朝(ドン・ハーディー自身から)明確にされた.それはフランシス・ボールが初めからこのすべてにおいて関わっていたことである.フランシス・ボールは実際の状況をよく理解していた.そこで彼がした真実を知っていながら,ジョン・カーンに対抗して(彼を暴露するために)立ち上がることができず,それどころか,集会において彼が私たちすべてに嘘をつくことを許し,それを曖昧に済まそうとしたのである.彼は意図的に実際の状況を陰蔽しようとした.彼は私たちをだまそうとした.兄弟姉妹,これは何という思いであろう,何という精神であろう? 台湾においては,“邪悪な人物を知り,彼を対処しない者は彼と共に罪を犯す”と言われている.私はその他の例を与えたくない.
私の内側は傷つき,悲しみで一杯である.兄弟姉妹,ここは私たちの甘い家庭であったのだ.誰かがそれをサーカスに変えてしまった.今日きわめて多くの疑惑と偽りの告発が聖徒達の間に存在し,多くの邪悪な報告,多くの偽りがなされている.教会は混乱で満ちている.これが今日のここの状況である.私たちの間における甘い一は失われ,それは喪失した.
もう一人の兄弟デイビッド・ワンの辞職の後,その同じ午後,フランシス・ボールが私のもとへ来た.3人の兄弟の前で,彼は私が教会を妨げていると言った彼は私をかいかぶり過ぎていると私は感じた.今朝ここに座っている兄弟姉妹の各々に私は尋ねたい−−あなたがたの内側におられる主に判断させて欲しい−−本当は誰が教会を妨げているのか? それは本当にダニエル・チューであろうか?誰か他の者であろうか? なたがたの内側では明確であるはずだ!!兄弟姉妹,ここは私たちの家庭である! 私たちは皆立ち上がるべきだ! 私たちはこのすべての病を生じさせた病源を見つける必要がある.そして正しい治療をすべきである.
先週の火曜日の夜,ローズミードの集会所で訓練集会があった.ハシエンダ・ハイツから来た一人の兄弟が私たちすべてにウオッチマン・ニーの書いた“キリスト者の正常な教会生活”を読むように励ました.私がここで言っていることがその文脈からそれていると誰かが言うことないように,私たちは皆家に帰ったらその本を全部読むようにお願いする.私は参考のためにその本から5点を選び書き抜いてきた.台湾から帰ってきた人々が,リー兄弟は台北でそこの兄弟姉妹にこの本を読むように指導していると言っていた.私たちは“一”であるように見える.
(下記の引用のページは要約された英語版におけるものである.それぞれの言及されているページをすべて読んで欲しい.)
1)第4章,51ページ:
どうか教会は“地方的”であることを覚えて欲しい.それは“地方的”,絶対的に“地方的”である.この地方的な性質を破壊する何らかの要因が入って来たら,それは聖書に啓示された教会ではなくなる.
2)第4章,54ページ:
教会の地方的性質を守り,保存するために,地方教会と働き人たちとの関係を発展させることにならないようにする必要がある.(“働き人”とは使徒達と同労者たちの両方である.)
3)第4章,56ページ:
もし神の子供達が教会の地方的性質を保とうとするならば,キリスト以外に何かまとまりの霊的センターがあってはならない.神の子供達がある地方よりも大きいグループとして集まるときはいつも,その理由は問わず,彼らはもはや“地方的”ではなくなる.いったん彼らが地方的でなくなれば,彼らはもはや教会ではない.
4)第4章,56ページ:
神のこの配剤は,天のキリストが彼の卓越した地位(あるいは“第一位の場所”)を守りたいからである.すべての諸地方教会はただキリストのコントロールのもとにのみあるべきであり,他のいかなる組織あるいはいかなる教会のコントロールのもとにあるべきではない.
5)第3章,39ページ:
使徒達はどこにも定住し地方教会の責任をとるべきではない.しかし,彼らが設立したどの教会においても,(長老として)責任をもたせることのできる忠実な者をそこの信者の中から選ぶのである.彼ら(ある地方の長老たち)は 他の場所から(その地方の外から)移り住んでくるのではない.(113 ページ も参照のこと) このようにして地方の立場の性格は維持される.
ここで私たちはいくつかの結論に達する:
1)フランスス・ボールは地方的な兄弟ではない.したがって彼はここの長老ではあり得ない.彼は長老職を速やかに離れるべきである.
2)だれがフランシス・ボールをここの長老に任じたのであろうか? この人は聖書の真理に従って歩いていない.またウォッチマン・ニーの負担にも従っていない.彼はすでに真理から迷い出て,逸脱している.これがここローズミードの地方教会におけるそのように大きな混乱の理由ではなかろうか?
3)教会は地方的であり,その行政(その統治)は独立である.私の家における少しの分け与えに関して,なぜフランシス・ボールはデイビッド・ワンと交わる前にフィリップ・リーに相談しなくてはならなかったのか? このことは地方の立場を損傷している.
4)私はこの点について直接関係のある質問をしたい:アナハイムにおいて先週の火曜日,ローズミードにある教会の問題について論ずるために,北カリフォルニアの各教会の長老達を召集したのは誰であろうか?(それはフィリップ・リーであった.) 私は問いたい,これが聖書の真理に従っていると言うのだろうか?
5)ここローズミードの集会所においてある火曜日の夜,“ドアノック”の訓練の集会において,まったく突然にある兄弟が,アルハンブラとハシエンダ・ハイツの教会はローズミードにおいて主日に合同で集会をすると発表した.中国語を語るすべての兄弟姉妹達はこのことを覚えていると思う.しかしこの発表に先だって,デイビッド・ワン(彼はローズミードの長老である)でさえこのことを知らなかった.これが地方教会の原則であろうか? これがウォッチマン・ニーの負担であろうか? 先週フランシス・ボールはオフィスで私に語った.彼(フランシス・ボール)は,“人々を長老に任じることのできる者が彼らとは別に長老職をとることができる”と言った.
兄弟姉妹,これが今日の私たちの状況である.
ある兄弟たち:誰が? 誰がそんなことができるのか?
ある兄弟:この者は誰だ? いったい誰が彼にこのような大きい力を与えたのか?
ダニエル・チユ―:私は尋ねたい,ある人がいて,ある組織があって,彼の立場は地方教会よりも高くて,すべての諸地方教会をコントロールしているのだろうか? これが聖書の真理であろうか? これがその霊の原則であろうか?兄弟姉妹,私は言いたい:今現在,私たちはある組織の下にある.どこに色々な人がいるのか.個人的な色と事柄ばかりだ.
マイク・ダイヤ―:彼は言っている,私たちは地方的でないある組織の下にある!!! 聞いて欲しい!!! 彼の発言に従おう:地方教会はもはや地方的でない!!!!!
ダニエル・チユ―:私たちはある組織の下にある.色々なタイプの人々が存在しない.まったくの個人的な色彩と事柄で満ち,いわゆる“指令”が“上”から“活動”あるいは“動き”をなすために次から次へと押しつけられている.どうか緊密に注意深く聞いて欲しい.彼は各教会の地方的状況を顧慮しない.すべてのことが各地方の兄弟姉妹の感覚あるいは必要によっていない.彼は励ますために自分の方法と嘘の偽りの数字を押しつけるだけである.もしあなたが従わないなら,あなたは責められるであろう.もしあなたがアーメンしなければ,あなたは告発されるであろう.私はあなたがたに問いたい,これが主の回復であろうか? これは極度に堕落した宗派(セクト)なのではないだろうか?
先週,兄弟達が私たちに待つように言った.彼らは私たちが彼らにもう少し時間を与えて欲しいと言った.兄弟姉妹,私たちは今日正当な立場に立っているのであれば,私たちは待つこともできる.もし私たちが正当な立場に立っていないならば,私たちは素直に愚かにも待つべきであろうか? 例えば,テキサスにジェシカという小さな女の子がいたとする.彼女は小さな井戸に落ち,動けなくなってしまった.その場合,彼女が成長し自分ではい上がるための大きい穴を掘れるようになるまで待つべきであろうか? あるいは即座に彼女を助けるべきであろうか? 兄弟姉妹,もし私たちが間違った場所にあるならば,それは“待つこと”ではなくて“死を待つこと”と言うべきである.
今日,主の御名のために,私たちすべては立ち上がるべきである! 今日,主の証のために,私たちは堅く立つべきである.まず第一に,兄弟姉妹,私は問いたい,これらの2人の兄弟達(ジョン・カーンとフランシス・ボール)はここの長老であろうか?
満場一致で:“そうではない!”
ダニエル・チユ―:(フランシス・ボールとジョン・カーンを見つめて)兄弟たち,私たちを正常な教会の集会に戻してはもらえないか? 教会をもう一度私たちの甘い家庭にするために,私たちに正常な教会生活を戻してはもらえまいか?
(その他の聖徒達を見ながら)私たちは皆ともに主に転機すべきである.私たちはこの組織にあまりも長く留まりすぎた.私たちは皆立ち上がる必要がある!この組織を出て,この団体を出て,私たちはすべて転機すべきである.私たちが必要とし,求めるのはこの愛すべき主である.彼が私たちの目標である!彼こそが私たちの供給の源である!彼こそが私たちの原動力である!私たちの主に取って代わる者は何もない!今日の(諸教会の)困難な環境にあって,困難な状況にあって,兄弟姉妹,私たちは落胆しない;私たちは失望しない.私たちはむしろもっと緊迫すべきである.私たちはさらに前進すべきである.もっと積極的になるべきである.個人的に私に語ってくれた多くの兄弟姉妹は,教会において問題が生じたが,この間ほど多く主に祈り,そんなにも主に結合し,主とそんなにも一つであった事は無いと言った.
兄弟姉妹,私たちは主の証のために皆ステパノであろう:石を投げられ死にいたっても退く事をしない.私たちは皆ダニエルであろう:このような曲がった,変質した状況の中で,私たちは主と調和され,結合され,この時代を転機する者となろう.地上における主の回復と主の証の為に十分に祈ろう.
マイク・ダイヤ―:ダニエル・チューが今言った事をまとめたい.皆,目を覚ませ! あなたの目を開け! これらの兄弟達は根拠もなしにあなたがたにアピールしているのではない.彼らは十分な根拠をもって,あなたがたに目を覚ますように,また現在持ち込まれている潮流に流されることなく状況に対して何事かをなすようにあなたがたにアピールしているのである.第一に,ジョン・カーンは嘘をついた! 第二に,フランシス・ボールはその嘘を知りながら何もしなかった.これは暗闇である.
昨年,私は英語を語る側で地獄を経験した.私はこれを(このときまで語ることを)保留してきた.私は主を愛している!私は神のエコノミーを愛している!私は極みまで嘆いているが,決して(ローズミードにある教会を)離れてはいない.神が啓示を与えたから私はここに留まる.そしてその啓示はあなたがたも受けているものと同じである!
私たちはこれらの根拠に基づいてあなたがたにアピールする.これらの兄弟達はあなたがたに嘘を言い,しかも彼らは立場がある兄弟達だ.フランシス・ボールに関して言えば,彼は(ダニエル・チュー)ウォッチマン・ニーの本のある部分を読んだ.私はこの本を読んだ.それは極めて明確だ! この兄弟は(ダニエル・チュー)いくつかの箇所を引用しただけである.フランシス・ボールはここに長老として属してはいない.彼は働き人だ.もし彼がここに来ても,その本によれば私たちが彼を受け入れたくなければ“ノー”という権利が私たちにはある.もし私たちが働き人を望まなければ,私たちは“ノー”と言える.もし彼から聞く事を望むならば,それでも良い.だからこれらの兄弟達はあなたがたの良心にアピールしただけではないのである.
私が最近出席したローズミードにある教会のすべての英語の集会について,あなたがたはそれらがどんなものであるか知っているだろうか? もっと!もっと!もっと多く!もっと増やせ! もっと多くの統計を! 先週においてさえ,私たちは聖書を一度も開かなかった.これが私たちの規定食である.皆(新約聖書の回復訳にある)フットノートをわめき立て,がなりたてている.あなたがたの(英語を語る側の)何人が過去3カ月間の間に集会で立ち上がって,御言葉をエンジョイして得たものあるいは一つのフットノートを分け与えたか? それはいつも“新しい動き”,“新しい動き”,“新しい動き”である.どこにキリストがいるのか?
目を覚ませ! 目を覚ませ,聖徒たち!!! 立ち上がれ!!! リー兄弟や彼の務めが私たちを救うのではない.彼は私を養った,私もアーメンを言った,そして私は彼から受けたものに立っている,そして彼は私の心の正当な場所にいる.−−−しかし,彼はキリストではない!!!!!!! 私は自分の内なる感覚に従って歩くのだ!
(今朝ここで暴露された)これらの事柄については私は折りにふれて知っていた.これが私が“新しい動き”に乗らなかった理由である.それらを実行した人々はそのような種類の人間であったからだ.私のメッセージがお分かりでしょうか? さらに私はそれをするようにという内なる感覚を持ったことがなかった.私はジョン・ビディノフとそれを始めた.彼が今朝ここにいないことは残念だ.私は隣人を調査した.財布から金を取り出し,“人生の奥義”を何百冊と買った.私は家内を何度となく郵便局へ(隣人にそれを送るために)38セント切手を買わせに行かせた.しかし私はこれらの兄弟達が集会(すなわち,英語の教会の一般集会の為の英語の奉仕集会の中で)の中でしていることを知るようになったとき,私は長老にこの“英語の奉仕の集会”をやめるように訴えた.それは悪魔的だ.それは教会を分裂させた.はっきりしたと思う.
ジョージ,なぜエドと私がその集会に出る事をやめたのかあなたは疑問に思っているだろう.あなたは私たちのところに来て,私たちに質問し,私から明確にされるべきであった.私たちは何等の問題をも起こすことを望まない.私たちはドン・ハーディーのようにドロップ・アウトしたいと思った.勿論,私たちはこれ以上もはやドロップ・アウトしない! 私たちは立ち上がる! このことは間違っている! ここは地方教会である! 私は“働き人たち”がここへ来て,地方的でなくすることを望まない! 私はここに誰か法王のためにいるのではない.私はキリストのためにここにいるのである! 長老としてどんな“働き人”をも送って欲しくはない.“キリスト者の正常な教会生活”によると長老は私たちの間から立てられるべきである.兄弟たち,デイビッド・ワンは長老である.ヨセフ・チュー,彼はここへ送られて来たのであるが,ミスが起きた.10年間彼は私たちの間にいたが,私たちは彼をどのように見てきたか? 長老である! 彼の交わりにおいてはどうか? 彼は長老である! 私は“長老職を立て直す必要がある!”と言いたい.あなた方は(フランシス・ボール,ジョン・カーン)取り除かれるべきだ! ここを離れよ! さもなければ,ここに残りたいのであれば,ジョン(カーン),あなたは兄弟としてくるべきだ! そしてそれがあなたがたが悔い改めたことの証である.
英語側の聖徒たち,私は自分の立場を明らかにしたい.あなたがたは私の生活を知っている.あなたがたは18年にわたって私がどのような兄弟か知っている.私がしていることは小さなことではない.けさここで起きた事柄を私は完全に認める.私はこれらの事柄を1年前から知っていた.そしてあなたがたのためにいかなる分裂も起こすまいとベストを尽くした.あなたがたの誰が私があなたがたをネガティブとするために来たと言えるのか? 私は決してしていない! あなたがすべては私の証人である.あなたがたの誰が私を告発できるのか?
2週間前,私がジョン・カーンにドン・ハーディーのことを語っていたとき,彼は立ち上がり,“これは異端である! 私たちはドンを(アナハイムから)ここへ戻す必要はない!”と言った.しかし先週ドンがここへ来たとき,もっとも恐れ,おののき,そしてドンに語らせまいとした者が誰であると思うか? ドン,誰だ? 兄弟,皆に言ってくれ!!! それはジョン・カーンである.彼(ジョン・カーン)は言った,“兄弟(ドン・ハーディー),私が悪かった”と.勿論それは良い! 悪い事をしたとき悔いるのは良い.しかし,私はバプテスマのヨハネのように言いたい,“悔い改めの実を結べ!”と.あなたは長老職を離れよ!
そこにいるべきでない!!! 私たち全員が必要なのは2人の長老である.ヨセフとデイビッドを長老に戻すべきだ,それで十分である!
長老に競ってなりたがっている者は,十分注意すべきである,なぜなら私たちはあなたに目を留めているからだ.私たちはキリストのために存在する!!!
私たちはフィリップ・リーなどは欲しくない! 彼にはこれらの長老を任命する権利などはない.なのに,フランシス・ボールは火曜日の夜私の家に来て,(フィリップ・リーと一つであることを正当化しようとして)旧約聖書のヨアブの例を挙げ,旧約においてもダビデでさえ自分の事柄に関してヨアブを任命したことを述べた.あたかも私がそれを受け入れねばならないかのようであった.リー兄弟をあたかも,何であろうことか,王として受け入れねばならないかのようであった!!! (そしてフィリップ・リーをあたかもヨアブであるとして私が受け入れねばならないかのようであった!!!) 彼はこの事に関する証人であるが,私はフランシスに言った,“それでも良いだろう,もし,もしあなたがリー兄弟を王とするならばである!!!”と.しかし兄弟たち,私はあなたに知らせたい:リー兄弟は私の王ではない!!! 彼(リー兄弟)を通して流れ出る彼(キリスト)が私の王なのである.リー兄弟は私にその王をとてももたらしてくれた.しかし,そのことは彼(リー兄弟)を王(キリスト)とすることにはならない.もしあなたが私の膝を折り,私の神に対する深い尊敬の念の中でそれを屈めたいのであれば,あなたはキリストとともに私に触れなくてはならない! なぜなら私は反逆的な人間であり,しかしキリストは私の上にきわめてすばらしい業をされ,終わりまで変わることがないのは彼だからである.
聖徒たち,目覚めよ! 目覚めよ! これらの兄弟たちに語れ.ヨセフ(チュー)に語れ.私はあなた(ヨセフ)が立ち上がって欲しい.私はあなたがそこに自分だけで座っていることを好まない.立ち上がり,真実の感覚を語るべきである.私は言いたい.あなたがた(聖徒たち)にはドン・ハーディーがいた,デイビッド・ワンがいた.そして彼らは嘘をついていない.私はすべての物語を知るが故に,ドンについて注意深く観察してきた.私は彼があなたがたに何か“雪仕事”を語るのを待っていたが,彼は何等の“雪仕事”をしなかった.彼は今朝真実であった.私はこの状況において現された彼の真実さに基づいて,彼を長老に戻して欲しいと言いたい.
ドン・ハーディー:マイク,私は少し言ってもいいか? 兄弟姉妹...,ダニエル兄弟,私はあなたを愛している.私がジョン・カーンについて言ったことをダニエルが述べたが,私はジョン・カーンがここの問題に対して90%責任があると言ったことを思い出せない.もし私が言っていたら,許して欲しい.私はそのような意味で言ったのではなかった.私たちは皆...マイク(ダイヤー),あなたはどう説明するかな? 私たちはすべて責任がある.
マイク・ダイヤ―:私は違う,兄弟.私は(ここで進行している事をいったん知った後は)それに参加する事を止めた! 即座にである!!! そして私は英語を語る側で苦しんできた.その兄弟達が皆証言できる.
ドン・ハーディー:私は知っている.これはテストである.兄弟姉妹,それは大きい私たちに対するテストである.言葉の務めをする主のしもべと彼が送った者たちに対して何か言うと...私たちは皆ウォッチマン・ニーを読もう,しかしそれを霊でにおいて読もう! 私たちは主の前に行くべきである.私は自分の証言に混ぜ込まれた事柄を言いたかったのだ.お互いに傷つけ合わないように.兄弟達のその理由は ...そう,ジョン(カーン)は動揺していた,私もそうだった.なぜなら先週の主日にここへ来たときに何が進行しているのか知らなかったからだ.
マイク・ダイヤ―:彼(ジョン・カーン)は,ドン,あなたに交わって欲しくなかった.あなたは今真実を言うべきだ! ...そして彼(ジョン・カーン)を暴露すべきだ!
ドン・ハーディー:とにかく,彼が望んだか否かはともかくとして,彼の口から出る言葉は“兄弟,若い者達を考えてくれ.小さい者達のことを考えてくれ.”であった.私は言った,“兄弟,そうではない.私は何が起きているのか分からないのだ.”私は言いたくない,それはちょうどデイビッドがダニエルを告発したくなかったと同じだ.私たちが見いだすまで神はそのようなことをすることを禁じた.だから私はいなかった.それをはっきりさせたい.
ダン・リン:公平であるべきだ.私は両サイドの話を聞きたい.このことについてジョン・カーンに何か語ってもらいたいのだが? 私は何も知らないから,聞きたい.
ジョン・カーン:私は本当に何も言いたくないが,しかし一つの点のみ指摘したい.私は数日前,それは先週の月曜日(10月26日)に,ジョン・インガルスの所へ行った.私はフランシス・ボールの面前で言った,“ジョン兄弟,私は1年前にあなたのもとへ来て交わりを持ったとき,‘私は兄弟として来た.私はローズミードにある教会を代表していない.私は長老を代表していない’と私は言った.いま,その交わりの後で,ジョン兄弟,私には何か不純な動機があるだろうか? 私には告発する霊があるだろうか? 私には責める霊があるだろうか?” そして彼は考えた.彼は言った,“ノー”と.そこで翌日私はドンに電話して言った,“私の良心は明確だ.”彼は言った,“いいだろう.あなたの良心は明確だ.”
そこで兄弟たち,私に一つの事実を言わせて欲しい.あなたがたは真実でないことを語っている! 誰か手を挙げることができるだろうか? 誰がジョン・インガルスに事実を語ったのであろうか? だからこれが私がこれ以上何も言いたくない理由だ.何であろうと,私はヨセフ兄弟のパタンが好きだ.彼は言った,“私は座りたい.もはやこれ以上語りたくない.黙っていたい.”そして私も同じようにしたい.
エド・ミチオカ:兄弟,真実は,いったん(ジョン・カーンとジョン・インガルスまたジョン・カーンと5人の兄弟達の間で)交わりがもたれた後,長老たちに手が忍び寄ったのだ! ジョン,あなたがきっかけだったのだ! 意図的だったにしろ,そうでなかったにしろ,ミニストリーの手は長老職に反して来たのである.そしてそれが重要なのだ!
この兄弟(ジョン・カーン)はこれらの2人の兄弟たち(デイビッド・ワンとヨセフ・チュー)のことを知らずに,また何が起きているのか知らずにやったのだ! 私は再度言う,これは何か個人的なことではない.しかし実際はその交わりの後,2人の長老が取り除かれ,今日私たち(ローズミードにある教会の聖徒たち)はその理由を知らないということである! これは光であろうか? 兄弟たち,私は言いたい,これは暗闇である!
フランシス・ボール:私は本当に嘆いている...私はあなたがたの理由が分かった.そしてあなあたがを責めない.私はまずドン・ハーディーとの状況についてとくに語らねばならないと思う.私はあなたがたが取った方法の故にあなたがたを責めたりはしない.なぜならあなたがたはジョン・カーンがジョン・インガルスのもとへ行ったことを知ったからだ.ジョン・インガルスがその時点では外国にいたために,彼はまた2人の兄弟の所へも行った.また彼は私に電話もした.
その時点では彼はおもに英語を語る側についての自分の欲求不満を表現していた.私はこのことについてあまりにも言いすぎることが良いかどうか分からない.なぜなら私が語る事は何であれ,受け入れられる事が難しいと思うからだ.しかしドンが,“教会においてどのような立場にあろうとも,ただの聖徒であろうと,指導的であろうと,私たちはフランクであるべきだ.”と彼が言ったことにまったく同意する.また私たちは政治的であってはならない.ジョンの不満を聞いて何人かの兄弟たちの結果は,ある兄弟たち(フランシス・ボールを含む)によって取り上げられ,これらの兄弟のうち5人(フランシス.ボールを含む)がともに集まった.私は彼ら(他の4人)を,5人すべてを代表して何も答えたくない.しかし私たちはすでにお互いにある深刻な開始をしていたのだ.そして私たち5人はすべて,ドン・ハーディーと教会に対して,私たちの立場を踏み越えたことを告白する. ジョン・カーンあるいは他の兄弟達が近所の他の兄弟達と交わりを持つ事は何の問題もない.しかしこれらの兄弟達がこの交わりにおいて私たちがとったのと同じように行動することは適切でない−−−とくに2点においてである.第一点,私たち(5人の兄弟たち)はローズミードの兄弟達,ヨセフ・チュー兄弟,デイビッド・ワン兄弟,ジョン.カーン兄弟と会っている.そして今日に至るまで誰がその集会を召集したか私は知らない.しかし私たちはドン兄弟と交わることなく,また彼の居ないときに交わった.これはまずかった.だから私は告白する.私たちが悪かった.このことが極めて,極めてまずい結果を生んだことを知っている.
ドンの移住に関しては,私たちがそれをしたとは考えない.なぜならそれはすでに決定していたのである.今朝のドンの交わりを通して,彼は移住するつもりであったことを聞いた.私たちが言うべきでなかったことが言われたが,それは“ドン,あなたは普通に働くべきだ.”ということである.リー兄弟はこのことは言っていないし,リー兄弟の感覚はドンが触れた通りであった.それに私たちが彼に仕事につくようにと言ったとき,私たちはリー兄弟の交わりによって行動したのではなかった.リー兄弟は言った,“もし主が仕事に導くならば,あるいは他の地方へと行くように導くならば,あるいはまたどこかへ出て行って福音を延べ伝え,教会を設立するように導かれるならば,それは彼の責任である.”
長老の集会に出席している者達は,主の前で非常に訓練され,そして私はデイビッド兄弟とジョン(カーン)兄弟と1月頃に交わりを持った後ここへ来たのである.そして私は教会に対してここで指導する者として来たと紹介された.リー兄弟はすでに,“あなたは行った方が良い.”と言っていた.私は躊躇した.なぜなら,私はサン・ベルナルディノの教会にいたからである.しかし後に,そう後ではないが,私は台北にいる英語を語る各家庭の子供達を来て助けて欲しいと頼まれた.私はこれらのこともすべてひっくるめて,これがサン・ベルナルディノを離れる良い機会であると感じた.私はそこに教会の開始とともにいたのである.9年以上,そして兄弟姉妹,私が離れたことはとても良かった.そこの教会はまったくうまく行っている.彼らはすべての教会と一つである.彼らは務めとも一つであり,彼らは幸せそうにやっている.彼らのすべてがドア・ノックをしているわけではない.人々がドア・ノックをするように強いられるようなことはリー兄弟の意図ではない.諸教会の中で4人に一人がそれをしたらすばらしいことであると彼は言っている.ある者達は,自分の熱心と熱意から,このことをあまりにも押し進めた.そしてこのことが多くの人々を傷つけた.この観点では,あなたがただけではない.
ある姉妹:“その務めと一つ”とはどのような意味か?
フランシス・ボール:それには少し時間が必要だ.私がここへ来たからにはこれを理解して欲しい.しかし,聖徒たち,私は告白する.私が台北からローズミードに帰ってきたとき,私は思慮がなかった.私はギャングのようにジャンプした.そして私はそれをこのように取り扱ったことを悔いる.しかし,私が言ったことは真実であると感じる.すなわち,私があなたがたに報告し,主の動きの指導に関して語ったことである.(このときダニエル・チューが何かを言うために立った.)
ダニエル,あなたが立っている間,私にあと一つ語らせて欲しい.
ダニエル・チュー:私は待っている.
フランシス・ボール:私は心から,私の霊から,私の理解から,正直に言うことができる.私は決して何か意図をもってはいない...今朝持ち出されたようなこと:それは私があなたがたをどこに置こうとしているのか? 私は分からない.
ダニエル・チュー:あなたは私に言ってくれ!
フランシス・ボール:そう,それを私は知りたいのだ.私はこんなことを以前聞いた事がない.もう一つの事,はじめにこの事を言っていいか,ダニエル?
ドン・ハーディー:あなたが言おうとしている事は,あなたは彼を取り除いていない...(ドン・ハーディーが言い終わる前にフランシス・ボールは遮った)
フランシス・ボール:違う,違う,私は何の意図...何の考えも持っていなかった.私はそのようなことは思いつかなかった.私はこのことを台北から明確に聞いた.
ある姉妹:私は次のことを尋ねたい,あなたはデイビッド・ワン兄弟が嘘を言っていると言うのか?
パン・ホ・チェン:あなたの意図に拘らず,私たちはあなたの(デイビッド・ワン兄弟との)電話での会話がどのようなものであったを知りたいのだ.
フランシス・ボール:OK.そのことについて話そう.待たせて悪かった.私がデイビッド(ワン)兄弟に電話したとき,集会においてダニエル兄弟が言ったことを理解していたが故にとても関心があった.そして私はデイビッド兄弟との交わりをすることなく,私は何かとても愚かな事をしたかもしれない.しかしそれが複数の長老達がいつ理由である! そこで何かが起きたとき,あなたは交わりを持てる.長老達の間で,ある時にはとても強烈な,十分な交わりがあった.しかし私たちは一つの原則を知っている.私たちが交わったことは,あなたがたがそうするように決断するときまでは,長老集会の外部に漏れてはならない事だ.
ダニエル・チュー:私は聞きたい,なぜあなたはデイビッド・ワンと交わる前にフィリップ・リーに電話したのか? なぜローズミードにある地方の教会の事を他の人々に語らねばならないのか?
フランシス・ボール:これは良い質問である.これに答えよう.兄弟たち,私がダニエル兄弟の家を離れたとき,デイビッド・ドンが,彼は働きに関係しているが,フィリップ(リー)兄弟に電話したいと私に言った...その集会と何等関係がなく,そこで何かが起きたわけではないが.フィリップは,デイビッドに私たちが語った時,私がした決定に何等の関係がない.
ダニエル・チュー:兄弟姉妹,彼が言ったことが本当であると思うか?
ある姉妹:嘘だ.
ダニエル・チュー:兄弟姉妹,もし彼が言った事が真実であるならば,デイビッド・ワン兄弟が私の面前で嘘をついたことになる.兄弟姉妹,デイビッド・ワン兄弟とフランシス・ボールのどちらを信じるか?
パン・ホ・チェン:私は証言したい.土曜日の集会において30名の人々が集まっていた.ダニエル・チューが言ったことに何等の問題もなかったとしたら,なぜ彼らはデイビッド・ワンに深夜12時過ぎにこの件について電話しなくてはならなかったのか.私たちは彼の報告を聞いている.それはもし出かけたいのであれば,最前を尽くして行くべきであるし,もし全員に知らせる事ができなければ,行く事ができない兄弟姉妹とここに留まるべきである,という内容であった.私はなぜこのような報告に問題があるのか理解できない.フランシス・ボールはこの件について深夜に3度もデイビッド.ワンに電話している.もしフランシス・ボールがこの3回の電話は彼の個人的な交わりであると言っても,私はそれを真実とは信じられない.善意で正当な人手あれば問題をこのような時間に取り扱おうとはしないし,また後で(この集会で)それを光の中で無視しようとはしない.この件に関する陳述において私はいかなる嘘も聞きたくはない.あなたがたも同様だと思う.
ダニエル・チュー:私は質問したい.いまフランイシス・ボールは,ジョン・カーンが,自分の英語を語る側の不満について,彼ら(アナハイムの兄弟たち)と交わりを持ちたがったと言った.私はここには何かおかしなことがあると感じる:なぜジョン・カーンは離れなかったのか? そうせずに彼はドン・ハーディーが離れることを望んだ.聖徒たち,答えて欲しい:彼(ドン・ハーディー)は悪い感情,欲求不満を持っていたのだろうか?
第2点,誰が英語の集会はサーカスみたいであると言ったのか? 兄弟姉妹,私たちは皆,彼(ジョン・カーン)は私たちにそのような否定的なことを言っていないと証言できる.これを最初に言ったのはだれか? 誰が英語の集会はサーカスのようだと言ったのか? 2週間前にジョン・カーンはそれを私たちに公に言った.
第3点,小さな例をあげたい.彼ら(デイビッド・ワン,ヨセフ・チュー,ドン・ハーディー)はドン・ハーディーに関して(ジョン・インガルスと5人の兄弟たちに対して)語られたことが何であるのか知らないと言った.ドン・ハーディーは自分がローズミードを離れなくてはならなくなった原因であるその発言の内容を知らなかった.私は実際にはそれほど重要ではない理由を説明したい.OK.ここに座っている兄弟姉妹,これを聞いた者は誰でも証言して私を助けて欲しい.こういう言葉がある,“ドン・ハーディーはリー兄弟が書いたのでない本を個人的に読んでいる.” このようなことを聞いた事がある兄弟姉妹はいますか?
私はすでに先週,フランシス・ボールとジョン・カーンに個人的に語っている.私たちが知っている事はこれらの2人の兄弟が想像している以上の事である.もし私がすべてを暴露したら,兄弟姉妹,あなたがたは椅子から転げ落ちるであろう.私たちはすべてを破壊したいとは思わない.私たちはこの巨大な木のほんの一部を披露する.兄弟姉妹,これらの小さな小枝から,またこの木の僅かな樹液からすべてを悟ることができるように希望する.今日ここにある問題がある.私たち派その根を掘りおこしたいとは思わない.もし根を掘り起こしたら木全体が倒れてしまう.このようなことは見たくはない.この病気の原因がここを離れることを望む.これは細胞に病気を起こさせる病である.この病根を取り除く手術が必要である.これが私たちの負担である!!!
コン兄弟:私も少し言いたい.私はローズミードのある兄弟のただの一兄弟である.今日私が聞いた事はここの教会の指導権の問題である.私たちはこの指導権についての問題を考慮すべきである.私はアナハイムとローズミードの関係は,私が知る限り,それほど重要ではない.ここは地方教会である.私はその肢体であり,そして誰を指導者に選ぶかについての権利と責任が私にはあると感じる.私たちの教会は成長するために,一日たりとも指導者を欠いてはならないと思う.
今日,こんなに多くの人々がいる.今日私たちは決定できる.私たちの心の中で,誰が理想的な指導者であるか? これは歴史の記録である.まず尋ねたい.ワン兄弟は今だに私たちの長老であるか? もし賛成ならば手を挙げて欲しい.いいだろう.70%以上.第二に,ヨセフ・チューを長老にしておくことに同意するか? 手を挙げて.よろしい.70%以上.第三に,ドン・ハーディーを長老にしておくべきか? 手を挙げて.よろしい.60%以上.よろしい.ジョン・カーンを排除すべきか? 手を挙げて,40%.....
兄弟姉妹:教会は投票に依らない.
アベル・チュー:私は長老ではない.私はただの一兄弟である.私たちの家庭で何かが起きている故に内側で苦しい.長老達は投票で決まるものではない.ここで私たちがYES,NOをいう責任もない.第一に,私たちすべては内側に感覚がある:主が私たちの内側におられる.私たちはすべての兄弟姉妹を愛している.今日のこのような集会には3時間の時間も不十分である.私は若干年長の兄弟である.私は若干長く教会に留まっている.私は兄弟姉妹が主に向きかえることを望む.彼こそが問題を解決する唯一の道である.
集会の前に私は自分の感覚を少し交わった.ある面において私たちは聖書の真理を持っている.他の面において私たちはウォッチマン・ニーの負担を見ることができる.もう一つの面はここに命があることを私たちは知っている.これらの3面によれば,私たちは投票で長老を決める必要はない.とても自然に,誰が指導的兄弟であるべきか私たちは知ることができる.これは非常に明確である.次のように言う事を許して欲しい:長老職の立場にある者が誰かを決めることは私たちの責任ではない.むしろ,主の前での私たちの良心によるのである.
今日私たちの家庭であるローズミードの教会は非常に混乱している.謝罪することでは状況をどうにもできない.私たちは主の前で告白する事を学ぶべきであり,そうすれば視力を得,そして行動すべきである.ドン・ハーディーが言った事を私はとても尊重する;彼の感覚は私たちの感覚でもある.もし私が兄弟姉妹によって尊敬されていないと感じたならば,それを主の前に持ち出すべきである.私の感覚は兄弟姉妹から来ており,また頭からも来ている;私はこの感覚を受け入れるべきである.そこでこれはきわめて明確なことになる.私はドン・ハーディーのようであるべきである:静かに離れるのみだ.勿論ドン・ハーディーに対しては私たちは離れる事を望んでいない.(ドン・ハーディーに向きを変えて)あなたは命における教会の長老として,兄弟姉妹と交わりを持つべきだった.即座に自分が離れることについて交わりを持つべきであった.それは私たちの決定であるとは言え,それは主からくるものである.これは(決定は)体の感覚のためのものである.私たちはここに権力によって何かしようとしているのではない;私たちはここで主の体を建て上げたいのである.これが私たちの目的であり,私たちの幻でもある,と言わねばならない.この外にあるものは教会の中へ持ち込まれるべきではない.ここで集会を終わらせたい.祈りましょう.
ローズミードにある教会の長老デイビッド・ワンの辞表
1987年10月11日
親愛なる兄弟姉妹:
今日私はローズミードにある教会の長老職を退く事を皆さんに伝えるためにこの機会を取らせて頂きたいと思う.この決断の理由は下記の通りである:
1)ドン・ハーディーがローズミードを離れてから,ジョン・カーン,ヨセフ・チューそして私の間の甘いひとつは破壊され,それはいまだに回復されていない.あなたがたの何人かは,なぜドンがローズミードを離れたのか今だに尋ね続けている.それについて誰も適切な説明を与えようとしない.
2)リー兄弟がすべての諸教会を新しい動きの中へ,あるいはいわゆる“システムの変革”へともたらしてから,ローズミードの聖徒達の間における状況は混乱と不一致へと落ち込んだ.これは初め英語を語る聖徒達の間で生じ,現在は中国語を語る聖徒達の間で生じている.
3)ヨセフ・チューはもはや長老ではない.リー兄弟はおよそ3週間前に私を呼び,彼は決してヨセフ・チューを長老に任命したことはない,と私に言った.過去数年間,4人の兄弟達,ドン・ハーディー,ヨセフ・チュー,ジョン・カーンそして私は教会に関してともに調和し交わりを持ち,また教会のために決定をしてきた.なぜならば私たちはヨセフを長老と考えていたからである.しかし,もはやそうでは有り得ない.
兄弟姉妹,過去2カ月間,とくにフランシス・ボールがここに来てから,私は兄弟達と前向きに進むために最前を尽くそうとし,またしてきた.しかし,およそ1週間ほど前にあることが起きた.私は態度を変え,私の努力を放棄した.なぜなら,ローズミードの状況を癒すことは不可能であると,私は感じるからである.
あなたがたの多くがローズミードの状況に関してとても苦しんでいる事をわたしは知っている.わたしもまた苦しんでいる.私がもし過去において,誰かを何らかのときに傷つけたとしたら,私は主の愛の中であなたがたの許しを請いたい.
ありがとう.
キリストにあるあなたがたの兄弟,
デイビッド・ワン(署名)
David Wang
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